姪を亡くしてから
私は姪のことばかり考えています
あるいは、姪を失ったことの喪失感の大きさに打ちのめされています

おそらく、どの姪や甥を失っても
私は大きな衝撃を受け、深い悲しみを感じたことでしょう
あらためて、姪や甥の存在のことを考えています

姪や甥は、自分の子供ではありませんから
普段は、その存在をあまり意識しません
たまに会えば、それはそれは愛しい、かわいいかわいい存在ではあります
しかし、普段は、その存在を意識することが、ほとんど無いのです

失って、はじめて、その存在の大きさを知る・・・ということは、何事につけ、あるものです

姪、甥の存在とは、そのようなものかもしれません
成長期であれば、会うたびに、大きくなったと驚き
チビの時と同じように接するわけにはいかない、戸惑いのようなものを感じることもあります
会話といっても、通常は、あたりさわりのない内容のものしかしません

これは学校時代の同級生に会った時の感じとも、少し似ています
懐かしくて嬉しくはあるのですが、それで何を話していいのか
お互いの近況を確認した後は、会話も、どこか、もどかしい感じがあります

しかし、血縁の年少者は、これともまた違います
折り目折り目に、お互いの人生を共有しています
婚礼や葬儀はもとより、祝い事や、その他、様々なことで、互いの現状を確認しています
協力して、事をなし、人生の重要な時間を共有します

年少の近親者は、自分の子供とは少し違う意味で、人生の後継者という意味があるのでしょう
共通の記憶を持ち、人生を共有することは、文化を共有することでもあり
広い意味での”後継者”となるからです
家族の”歴史と文化”の後継者なのです

後に続く者に、バトンを継承し続けることが人間の文化です
文化とは、歴史とともに存在するものです
文化の継承は、本来は、文字や観念ではなく
人から人へ、人生経験の共有を繰り返しながら、伝えられていくものでしょう

年少者を失うことは、文化の断絶を意味します

人が野性を脱し、文化のある生活を始めてからずっと
文化の継承こそは、人類の意識にとって、最重要のことだったのでしょう
体験の共有だけでは難しい部分を埋めるものとして
言語が発達し、文字が発明されたのでしょう
そして、跡に続く者達への特別な愛情も強くなってきたのでしょう