奈良の大仏は
世界最大の木造建築と言われる建屋に収まっています
ところが、鎌倉の大仏は建屋がありません
一体、どうしてでしょう?
もともと建屋はあったらしいのです
建屋がない理由は
台風で流されたとか
地元でも、確かな話は伝わっていませんでした
津波で流されたという話しもあったかもしれません・・・
正応6年(1293年)関東地方に大きな地震がありました
「鎌倉大地震」
です
あまり研究がなされていないため
「永仁の関東地震」「鎌倉強震地震」「永仁鎌倉地震」「建長寺地震」など
様々な名で呼ばれています
この年は他にも天災が続いたので
朝廷は正応から永仁へ改元を行いました
それで、地震名の頭に永仁が付く場合があるのです
2008年、東大地震研究所では
三浦半島小網代湾の堆積物に着目し、分析を進めた結果
鎌倉大地震により発生した大津波の痕跡を見出しています
これで、はっきりしました
鎌倉の大仏の建屋を押し流したのは津波だったのです
あの大仏をすっぽり蓋っていた巨大木造建築物を押し流してしまったのです
この度の大震災に匹敵する規模の巨大津波であった可能性があります
長谷の大仏の建屋を流してしまった津波があったとすれば
三方を山に囲まれた鎌倉の平野部は全滅であったと考えられます
この度の震災では、津波の被害のあった地域で地盤沈下が起きています
通常の地震では起きない地盤沈下が規模の大きいプレート形地震では起きるのです
おそらく鎌倉大地震でも地盤沈下が起きたのでしょう
その証拠は
「段葛(だんかずら)」
です
鶴岡八幡宮の参道の”段葛”です
地震後の地盤沈下によって水が引かなかったため
八幡宮の参道だけでも歩けるように土盛りしたのです
鎌倉大地震はプレート形の巨大地震だったのです
長谷の大仏に建屋が無いことも、八幡宮の参道の段葛も、これで説明できます
鎌倉の二つの謎が解けたことになります
さらに、1293年といえば、鎌倉幕府崩壊の40年前です
この大地震が鎌倉幕府崩壊の遠因となったことでしょう
日本の歴史を”地震”をキーワードに読み解くこともできるかもしれません
江戸幕府の末期、いわゆる幕末も
じつは、地震が多発した時期だったのです
世界最大の木造建築と言われる建屋に収まっています
ところが、鎌倉の大仏は建屋がありません
一体、どうしてでしょう?
もともと建屋はあったらしいのです
建屋がない理由は
台風で流されたとか
地元でも、確かな話は伝わっていませんでした
津波で流されたという話しもあったかもしれません・・・
正応6年(1293年)関東地方に大きな地震がありました
「鎌倉大地震」
です
あまり研究がなされていないため
「永仁の関東地震」「鎌倉強震地震」「永仁鎌倉地震」「建長寺地震」など
様々な名で呼ばれています
この年は他にも天災が続いたので
朝廷は正応から永仁へ改元を行いました
それで、地震名の頭に永仁が付く場合があるのです
2008年、東大地震研究所では
三浦半島小網代湾の堆積物に着目し、分析を進めた結果
鎌倉大地震により発生した大津波の痕跡を見出しています
これで、はっきりしました
鎌倉の大仏の建屋を押し流したのは津波だったのです
あの大仏をすっぽり蓋っていた巨大木造建築物を押し流してしまったのです
この度の大震災に匹敵する規模の巨大津波であった可能性があります
長谷の大仏の建屋を流してしまった津波があったとすれば
三方を山に囲まれた鎌倉の平野部は全滅であったと考えられます
この度の震災では、津波の被害のあった地域で地盤沈下が起きています
通常の地震では起きない地盤沈下が規模の大きいプレート形地震では起きるのです
おそらく鎌倉大地震でも地盤沈下が起きたのでしょう
その証拠は
「段葛(だんかずら)」
です
鶴岡八幡宮の参道の”段葛”です
地震後の地盤沈下によって水が引かなかったため
八幡宮の参道だけでも歩けるように土盛りしたのです
鎌倉大地震はプレート形の巨大地震だったのです
長谷の大仏に建屋が無いことも、八幡宮の参道の段葛も、これで説明できます
鎌倉の二つの謎が解けたことになります
さらに、1293年といえば、鎌倉幕府崩壊の40年前です
この大地震が鎌倉幕府崩壊の遠因となったことでしょう
日本の歴史を”地震”をキーワードに読み解くこともできるかもしれません
江戸幕府の末期、いわゆる幕末も
じつは、地震が多発した時期だったのです