自分が普通の人であるかどうか
自分では分かりません

私自身は、普通の人で良いと、いつも考えていました
ただし、ことさら意識して、普通であろうとはしません
普通でないと思われても、それはそれで、しかたがないことなのです

普通の人というよりも
”ただの人”であることが、長い間の私の人生観でした
”特別な人”や”偉い人”にならなくてよいという考え方です

要するに、私は
立身出世主義を否定して生きようと考えたのでした

民主主義というものは
”ただの人”が一番偉いのだから
”ただの人”として生きればいいではないかという理屈です

青春時代の私には、憧れの人などいませんでした
この人のようになりたいという憧れを抱く対象がなかったのです
好きなことをするためにお金は欲しかったですけれども
威張るためや、人を平伏させるための地位など欲しませんでした

それが私の”ただの人”の哲学だったのです

当たり前の生活をして
好きなことをやる趣味的な人生こそ
私の理想でした

優しい女性と結婚ができて
静かな生活をおくることができれば、申し分ないことでした
子供を生み育てることすら、想定していませんでした
子供を生み育てることの喜びは、それを経験してから知りました

今の私は
若い人に会えば、結婚の必要を説き
新婚さんに会えば、子作りを説きます
余計なお世話であることとは承知しながら
それが大きな幸せをもたらすことを思うと、黙っていられないからです

気が付けば
私は、昔よくいた”通のおじさん”になっていました
これで良かったのでしょう・・・私の人生は