私の遭遇したバケモノの形状は
一瞬のことでしたから
時とともに記憶に自信がなくなります
遭遇当時の私の抱いた印象は
西洋の塔の屋根に付いている悪魔・・・というか魔物の彫刻
あれに一番似ていたというものです
日本のバケモノでは
カラス天狗か河童に似ているということになります
しかし、頭にお皿はありませんでしたので
河童ではないと思います
腰の曲がったお年寄りの中には
かなり小柄な人もいますから
私が遭遇した”人”が、深夜に徘徊する老人であった可能性もあります
何度か、そのように考えてみました
しかし、私は、その考えを受け入れたくありませんでした
それは、真実から逃げる意味しかないからです
私は、あの時、確かに
・・・人間ではない・・・
と、直観したのです
私は自分に嘘をつきたくないのです
恐怖のあまり、人がバケモノに見えるという可能性は否定しません
しかし、あの時の私は
恐怖感など、まったくありませんでした
いつもの、通いなれた道を、家の近くまで来ていたのです
しかも、車の中です
私は周囲を見渡し、深夜の交通事故を避けようという余裕さえありました
さらに、直後にバックミラーで確認した時
すでに、何もそこには存在していなかったのです
仮に、人であったなら、一瞬にして消えたことになります
そのほうが、よっぽど不可思議な現象です
そして・・・
はっきり言えることは
あの日から、私の人生観が変わったということです
妖怪は確かに存在するのです
私はアレを”死神”だと解釈してきました
しかし本当は別の妖怪かもしれません
「妖怪を見た人々」という本には
天狗、鬼、化け猫・・・など、昔からなじみのある妖怪たちが
現代人の経験した話として出てきます
だから、妖怪について書いた本というより
”日本昔話”の現代版といった感じを受けます
そして、キツネが化かすとか、イタチが化かすという話も出てくるのです
私は、事務所の帰り道に
タヌキを見たことも、イタチを見たこともあります
私の住んでいるところは住宅地ですけれども
周囲には雑木林も多くて
結構いろいろな野生動物に遭遇します
私は、もしかしたら、タヌキかイタチに化かされたのかもしれません
一瞬のことでしたから
時とともに記憶に自信がなくなります
遭遇当時の私の抱いた印象は
西洋の塔の屋根に付いている悪魔・・・というか魔物の彫刻
あれに一番似ていたというものです
日本のバケモノでは
カラス天狗か河童に似ているということになります
しかし、頭にお皿はありませんでしたので
河童ではないと思います
腰の曲がったお年寄りの中には
かなり小柄な人もいますから
私が遭遇した”人”が、深夜に徘徊する老人であった可能性もあります
何度か、そのように考えてみました
しかし、私は、その考えを受け入れたくありませんでした
それは、真実から逃げる意味しかないからです
私は、あの時、確かに
・・・人間ではない・・・
と、直観したのです
私は自分に嘘をつきたくないのです
恐怖のあまり、人がバケモノに見えるという可能性は否定しません
しかし、あの時の私は
恐怖感など、まったくありませんでした
いつもの、通いなれた道を、家の近くまで来ていたのです
しかも、車の中です
私は周囲を見渡し、深夜の交通事故を避けようという余裕さえありました
さらに、直後にバックミラーで確認した時
すでに、何もそこには存在していなかったのです
仮に、人であったなら、一瞬にして消えたことになります
そのほうが、よっぽど不可思議な現象です
そして・・・
はっきり言えることは
あの日から、私の人生観が変わったということです
妖怪は確かに存在するのです
私はアレを”死神”だと解釈してきました
しかし本当は別の妖怪かもしれません
「妖怪を見た人々」という本には
天狗、鬼、化け猫・・・など、昔からなじみのある妖怪たちが
現代人の経験した話として出てきます
だから、妖怪について書いた本というより
”日本昔話”の現代版といった感じを受けます
そして、キツネが化かすとか、イタチが化かすという話も出てくるのです
私は、事務所の帰り道に
タヌキを見たことも、イタチを見たこともあります
私の住んでいるところは住宅地ですけれども
周囲には雑木林も多くて
結構いろいろな野生動物に遭遇します
私は、もしかしたら、タヌキかイタチに化かされたのかもしれません