カレルギーが「パン・ヨーロッパ」を書いた頃
日本や東アジアのことは、あまり知らなかったと思われます

1歳の時に日本を離れ、日本語もしゃべれませんでした
11歳の時に父親を亡くし、日本人の母親に育てられたとはいえ
この母親は子供達を立派なオーストリア人に育てたかったわけで
日本語すら、ほとんど教えませんでした
そして、結婚後は、会うこともなかったのです

その頃のカレルギーは、日本と中国が協力して
東アジアをまとめればよいというような意味のことも書いています

しかし
第二次大戦後、特に中国が共産主義の国になってからは
日本と中国は、けして一つになるべきではない・・・と強調しています

カレルギーは
日本はアジアではない
日本人は自分達をアジア人であると考えるべきではない
とまで、言っているのです

日本は島国であるけれども、大陸である
オーストラリアは大陸であるけれども島である
日本は、アジア大陸とアメリカ大陸の間にある、大陸なのだと主張したのです

その意味は、日本人が独自の偉大な歴史と文化を持ち
アジアとは見なすことができない特徴を備えていることと
共産主義中国とは、共有すべき文化が存在しないということです

第二次大戦後のカレルギーは
共産主義と戦うことよりも
平和共存して、第三次世界大戦
特に核戦争を防ぐことを最大の政治目的としていました

カレルギーは、共産主義国が自壊することを分かっていました
外部から攻撃する必要などないと読んでいたのです
確かに、共産主義者は攻撃的な態度を示します
しかし本気で戦う意志があるかどうかは疑問なのです
体制維持のための、国内向けポーズである可能性が高いのです
戦争に負けると同時に体制が崩壊することを
共産主義国の権力者は、よく分かっているからです

カレルギーは日本に対し
すべての国と友好関係を維持せよ
共産主義国とも、残虐な独裁国家とも友好関係を作れ
そして、いかなる国際紛争にも顔を突っ込むなとアドバイスしたのです
ただし、核兵器への対抗手段が無い以上
アメリカとの同盟は不可避であると考えていました