田中角栄の政治的理想は何だったのでしょう?

政治家になった動機は敗戦国日本の再建でした
内政面では、東京と地方の格差解消でした

新潟の豪雪地帯の農村に育った田中にとって
都市、特に東京は憧れであると同時に恨みの対象でもありました
この絶望的な格差をなんとかしたい・・・
それが最初から、彼の政治的信念でした

外交面ではどうだったでしょう
田中は自分から外交は苦手だと言うこともありました
これは、内政にくらべ外交への関心が薄かった
・・という意味だと、私は考えます

ならば田中角栄に外交の指針が無かったのでしょうか?
私のみるところ、田中の外交方針はシンプルでした
彼は日本の独立と安全が図れるなら
イデオロギーや過去の経緯にこだわらない外交方針を持っていました
しかも発想が即物的でした

アメリカが同盟国だからといって
アメリカ経由では、日本の必要とする資源が入らないというなら
アメリカに遠慮せず、日本独自に、資源入手のための外交をしました

これが世に言う「資源外交」です

田原総一郎によれば
これによって、田中角栄はアメリカの”虎の尾を踏む”ことになるのです
そして、アメリカから「ロッキード事件」を起こされたというわけです

田原総一郎は、この論文により一躍有名になりました
ジャーナリズムの世界で大成功し、現在に至っています

田原説の真偽はともかく
私を含む多くの庶民が、田原氏と同じ様なことを考えていたことは
ここに記録しておきたいことです

ロッキード事件は、インテリ層と若者を反田中にしましたが
当時の私の周囲の大人達は、角栄贔屓でした
彼らは詳しい情報が何も無いにもかかわらず
この事件に違和感を覚えていました

「石油ショック」が起きたとき
当時の大人達・・・戦争を知っている世代の人々は
これは、戦前と同じことが起きたとピンときたのです

戦前には、英米から日本に対する様々な貿易圧力があり
じっと耐え続けた日本ではありましたが
石油の輸入が不可能になった時、立ち上がらずを得なかったのです
田中角栄も、当然ながら、それを覚えています

「石油ショック」が起きた時
内閣総理大臣・田中角栄は、当座の物価高を心配したのでありませんでした
より深刻な、本質的な危機を洞察したのでした
大蔵大臣に福田赳夫を起用したのも
この危機を政争の具にしようとする福田を黙らせたかっただけでした