真実を追究することが
私にとって「自由」の意味です

「自由」の無いところに”真実”はありません

人は、生命を脅かされたり、金銭で買収されたり
恐怖と欲望の隙間を通り抜けるようにして、生きています
人の自由は、つねに危険にさらされていて
正しいことを主張するのに勇気を必要とします

「言論の自由」とは「真実追求のの自由」であると私は考えます

「言論の自由」を実現するためには、私達一人ひとりの勇気が必要です
脅しに屈したり、金銭で買収されたり
私達は真実に口をつぐむ動機に事欠きません

真実の追究は難しいものです
自分の経験したことでさえ
警察の取調室で脅迫的な尋問を受けると
記憶が消し飛んでしまいます
多くの冤罪を生んだ自白調書は、そうして作られました

また、暴力的な行為にさらされなくとも
私達は”思い込み”により、真実から遠ざかることがあります
私自身、そうした失敗をしないように気を付けています
自分の記憶をなるべく正確に思い出すことと
記録を付けることの重要性を痛感します
しかし、人の能力の限界は、いかんともしがたいものがあります

そこで、私は私なりに、最大限誠実であろうとしますが
それでも限界はありますから
その時は、素直に自分の間違いを認めようと覚悟しています

それというのも、あまりにも慎重であると
結局、何も主張できず
自分が存在しないのと同じになってしまうからです