ノミを天井の低い箱の中に入れておくと
やがて、跳ばないノミになるそうです
跳ぶたびに、頭を天井にぶつけるからです
私は、日本の言論界を見渡すと
このノミのエピソードを思い出します
日本人には、言論上のタブーがあります
憲法を批判することは、その最大のものでした
いまでも、憲法を守れと
反体制的な東大教授(?)から、お笑い芸人に至るまで
じつに多くの人が、この主張をとなえています
マスコミの支持は絶大です・・・国民の支持はありませんが
このほかにも、タブーはあります
外国及び外国人を批判することも、その一つです
日本人が批判できない外国というのは
二つのグループに分かれていて
一つ目が、連合国
アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国・・・です
二つ目が、かつて日本の支配下にあった日本の近隣諸国
中国、台湾、韓国、北朝鮮です
これら二つのグループに属する国家と国民を
日本人は批判してはならないのです
これが戦後日本のマスコミのタブーです
憲法批判を禁じたのも、外国人批判を禁じたのも
進駐軍の言論統制によるものです
はっきり、その項目が明示されていますから
興味のある方は、江藤淳氏の一連の著作を読んでください
私が司馬遼太郎を嫌いなことは
このブログの読者は知っていると思います
私がまだ小学生か中学生になったばかりの頃だと思います
江崎玲於奈氏がノーベル賞を受賞し
アメリカから日本へ一時帰国したことがありました
私は偶然、床屋の待ち時間に
江崎氏と司馬良太郎の対談の出ていた週刊朝日を読んだのです
そして、司馬が大嫌いになりました
話の中身は忘れてしまいましたが
その対談の中で、司馬は
”火星人になったつもりで日本を見ている”などと語っていました
なんだか日本人の悪口ばかり言っていたようにも思います
江崎氏は、ほとんどしゃべらず
ノーベル賞学者を前に、舞い上がった司馬は
わけの分からぬことをしゃべりまくっていました
”火星人・・・”という表現は、司馬の誤魔化しです
要するに、第三国人の立場で日本を見ているということです
そんな奴だから、後年
日本のことを”この国”なんて表現するようになったのです
司馬は、進駐軍統制下の新聞記者でした
彼の妻も、その時代に同じ職場にいました
彼らから、戦後の言論弾圧の話を聞いたことは一度もありません
司馬は、戦前の若き日、日本の植民地の役人なりたいと考え
戦争中は、戦車部隊に属し
戦後は、進駐軍の顔色を見ながら新聞記者をしていました
そして左翼勢力の退潮をみて
過去の日本にはいいところもあった・・・というような言論を始めたのです
徹頭徹尾、時代に調子を合わせた、軽薄な一生を過した人でした
やがて、跳ばないノミになるそうです
跳ぶたびに、頭を天井にぶつけるからです
私は、日本の言論界を見渡すと
このノミのエピソードを思い出します
日本人には、言論上のタブーがあります
憲法を批判することは、その最大のものでした
いまでも、憲法を守れと
反体制的な東大教授(?)から、お笑い芸人に至るまで
じつに多くの人が、この主張をとなえています
マスコミの支持は絶大です・・・国民の支持はありませんが
このほかにも、タブーはあります
外国及び外国人を批判することも、その一つです
日本人が批判できない外国というのは
二つのグループに分かれていて
一つ目が、連合国
アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国・・・です
二つ目が、かつて日本の支配下にあった日本の近隣諸国
中国、台湾、韓国、北朝鮮です
これら二つのグループに属する国家と国民を
日本人は批判してはならないのです
これが戦後日本のマスコミのタブーです
憲法批判を禁じたのも、外国人批判を禁じたのも
進駐軍の言論統制によるものです
はっきり、その項目が明示されていますから
興味のある方は、江藤淳氏の一連の著作を読んでください
私が司馬遼太郎を嫌いなことは
このブログの読者は知っていると思います
私がまだ小学生か中学生になったばかりの頃だと思います
江崎玲於奈氏がノーベル賞を受賞し
アメリカから日本へ一時帰国したことがありました
私は偶然、床屋の待ち時間に
江崎氏と司馬良太郎の対談の出ていた週刊朝日を読んだのです
そして、司馬が大嫌いになりました
話の中身は忘れてしまいましたが
その対談の中で、司馬は
”火星人になったつもりで日本を見ている”などと語っていました
なんだか日本人の悪口ばかり言っていたようにも思います
江崎氏は、ほとんどしゃべらず
ノーベル賞学者を前に、舞い上がった司馬は
わけの分からぬことをしゃべりまくっていました
”火星人・・・”という表現は、司馬の誤魔化しです
要するに、第三国人の立場で日本を見ているということです
そんな奴だから、後年
日本のことを”この国”なんて表現するようになったのです
司馬は、進駐軍統制下の新聞記者でした
彼の妻も、その時代に同じ職場にいました
彼らから、戦後の言論弾圧の話を聞いたことは一度もありません
司馬は、戦前の若き日、日本の植民地の役人なりたいと考え
戦争中は、戦車部隊に属し
戦後は、進駐軍の顔色を見ながら新聞記者をしていました
そして左翼勢力の退潮をみて
過去の日本にはいいところもあった・・・というような言論を始めたのです
徹頭徹尾、時代に調子を合わせた、軽薄な一生を過した人でした