私が大嫌いな物言いに
唯一核兵器による「被爆体験」を持ち
「核無き世界」を希求してきた日本
・・・などというものがあります
原爆を落とされて戦争に負けたのですから
逆に言えば、原爆を持ってさえいれば、勝てたのかもしれません
”唯一の被爆体験”を持つからこそ、核武装の重要性を理解できるのです
当然ながら、日本も核武装すべきです
そのように考える方が普通ではないでしょうか?
私は、高校の修学旅行で
長崎の原爆資料館を見て、核兵器廃絶を真剣に考えました
それ以後しばらく、私の考える自分自身の将来像は
世界的な平和運動家になることでした
核廃絶を世界に訴える運動をしたいと考えたからのです
私が知らされた原爆の惨禍は、それ程強烈なものでした
二度と再び繰り返してはならぬものだと
当時の私は本気で考えました
しかしその後、私は考えが変わりました
なんといっても、世界は核軍拡を続ける一方であり
毎年、広島や長崎の市長が世界に平和の訴えをしても
そんなもの世界は無視し、実際には、笑いものにすらなりませんでした
民主主義国も社会主義国も、核兵器の威力を充分に理解していました
だからこそ、核兵器を保有し、けして手放そうとはしないのです
核兵器の威力が強力であるということは
それを自分が持たなければ
他者に生殺与奪の権限を与えてしまうことを意味するからです
国家と国民の自由を守るためには、核武装こそ為政者の義務なのです
アメリカは、原爆投下という、自分達が日本人にしたことに対し
軍事的な誇りと道徳的な負い目を持っています
そして、もし日本人が核兵器を持ったら
当然ながら、自分達に復讐するであろうと考えています
アメリカは”日本の核武装”だけは、なんとしても避けたいと考えるのです
”唯一の被爆国”の立場を強調する人々は、良く考えてほしいものです
”唯一”であるかどうかは、世界を見回した場合のことです
日本人にとっては、どうでもいいことです
”唯一”の被爆国だから戦争に負けたのではなく
原爆を落とされたから、戦争に負けたのです
”唯一”の被爆国だから原爆症になったのではなく
原爆を落とされたから原爆症になったのです
日本が将来、核攻撃を受けたとしても
”唯一の被爆国”という立場は変わりません
もし、日本が未来永劫にわたって”唯一の被爆国”であり続けるなら
日本以外の国の人々は、核兵器に反対する理由がなくなります
外国の立場で日本を見るということは
日本だけが核攻撃を受けることを望む人々の立場に立つ・・・ということなのです
戦後の日本人、とりわけマスコミ人は
占領下の言論統制の影響で
外国人の立場から日本を見るという奇妙な習慣から脱け出せません
”唯一の被爆国”などという物言いなども、その典型なのです
発想が、外からのものになってしまっていることに
使っている本人すら気付かないのです
これからは、せめて”最初の被爆国”という表現を使いましょう
そこには”次は貴国かもしれない”という意味が込められるのですから・・・
唯一核兵器による「被爆体験」を持ち
「核無き世界」を希求してきた日本
・・・などというものがあります
原爆を落とされて戦争に負けたのですから
逆に言えば、原爆を持ってさえいれば、勝てたのかもしれません
”唯一の被爆体験”を持つからこそ、核武装の重要性を理解できるのです
当然ながら、日本も核武装すべきです
そのように考える方が普通ではないでしょうか?
私は、高校の修学旅行で
長崎の原爆資料館を見て、核兵器廃絶を真剣に考えました
それ以後しばらく、私の考える自分自身の将来像は
世界的な平和運動家になることでした
核廃絶を世界に訴える運動をしたいと考えたからのです
私が知らされた原爆の惨禍は、それ程強烈なものでした
二度と再び繰り返してはならぬものだと
当時の私は本気で考えました
しかしその後、私は考えが変わりました
なんといっても、世界は核軍拡を続ける一方であり
毎年、広島や長崎の市長が世界に平和の訴えをしても
そんなもの世界は無視し、実際には、笑いものにすらなりませんでした
民主主義国も社会主義国も、核兵器の威力を充分に理解していました
だからこそ、核兵器を保有し、けして手放そうとはしないのです
核兵器の威力が強力であるということは
それを自分が持たなければ
他者に生殺与奪の権限を与えてしまうことを意味するからです
国家と国民の自由を守るためには、核武装こそ為政者の義務なのです
アメリカは、原爆投下という、自分達が日本人にしたことに対し
軍事的な誇りと道徳的な負い目を持っています
そして、もし日本人が核兵器を持ったら
当然ながら、自分達に復讐するであろうと考えています
アメリカは”日本の核武装”だけは、なんとしても避けたいと考えるのです
”唯一の被爆国”の立場を強調する人々は、良く考えてほしいものです
”唯一”であるかどうかは、世界を見回した場合のことです
日本人にとっては、どうでもいいことです
”唯一”の被爆国だから戦争に負けたのではなく
原爆を落とされたから、戦争に負けたのです
”唯一”の被爆国だから原爆症になったのではなく
原爆を落とされたから原爆症になったのです
日本が将来、核攻撃を受けたとしても
”唯一の被爆国”という立場は変わりません
もし、日本が未来永劫にわたって”唯一の被爆国”であり続けるなら
日本以外の国の人々は、核兵器に反対する理由がなくなります
外国の立場で日本を見るということは
日本だけが核攻撃を受けることを望む人々の立場に立つ・・・ということなのです
戦後の日本人、とりわけマスコミ人は
占領下の言論統制の影響で
外国人の立場から日本を見るという奇妙な習慣から脱け出せません
”唯一の被爆国”などという物言いなども、その典型なのです
発想が、外からのものになってしまっていることに
使っている本人すら気付かないのです
これからは、せめて”最初の被爆国”という表現を使いましょう
そこには”次は貴国かもしれない”という意味が込められるのですから・・・