今日は新聞が休みです
日本全体で一斉にニュースが無くなるわけでもあるまいし
新聞界全体のカルテルが強固に存在するため
このような馬鹿げた習慣が残存しています
ニュースの中身もまたしかり
カルテルに支配された同一内容の記事となるわけです

日本には言論の自由があることになっています
しかし、本当に言論の自由があるのかどうか
怪しいものです

私のブログだって、一応どこからも検閲は受けていませんが
影響力も小さいし
不思議なことに、内容がキツイときはヒット数が減るのです

だから私は何も信じていません
本当のところは何も分からないというのが実感です
不確かさの中を、手探りで進むのが人の一生なのでしょう

いつも死を考えていることと
自分は善人ではないと考えることが
曽野綾子さんの発想の基本だそうです
私が彼女の書くものに常に共感する理由はこれかもしれません
私もまた、そうだからです

曽野さんとは、ニュアンスは違うかもしれません
私の場合、自分が平凡な人間であるというのが、人生の出発点でした
才能に恵まれない自分を嘆くのではなく
そんな自分でも自信を持って生きるというのが
私にとって、大人になるということの意味でした

平凡であるということは
必ずしも善人であることを意味しません
悪人ではないにしても、悪の要素を含むのが凡人であると思います

凡人である私は、天才や英雄、聖者のような生き方はできないと考えたのです
それでも、人生は生きる価値があるし
自分は、人として、生きていく資格があると考えたのです
それが民主主義というものだと、私は考えたからです

自分は人より劣っているとも考えませんでした
もちろん、個々の能力を調べれば
人より優れている点も、劣っている点もあるでしょう
しかしそれは、大雑把な大衆の枠の中に収まるものであり
際立って他人と違う点は無いと考えたのです

劣等感も持たず、さりとて優越感を持つことも無く
人と人の違いを受け入れ
大雑把には、大衆として、凡人の一人として
この世の中を生きていく資格があると、漠然と考え
出来れば謙虚に、出来れば平凡に
出来れば平凡な幸福を手に入れられるように
目立たず生きていこうと考えたのです