党首討論なるものがあり
麻生さんと鳩山さんが、何か言い合っていました
まわりの議員さん達のヤジがうるさくて
ときどき、聞こえなくなりました

他人の発言を封じようという精神は
民主主義に反するものです
議員をやめて、共産主義者かファシストにでもなればいいのです

ああいう行動原理の人達は!

人と人が自由に議論を展開するのは
民主主義の根幹です
自由な言論、対話、論争を否定するのは
その人が、自分は絶対正しいと考えているからでしょう

自分が絶対正しいと信じると
民主主義は居心地の悪い制度となります
そういう人は、過激な政治行動に走ったり
特殊な宗教活動の宗派に帰依したり・・・
世間並みの日常生活を送るのさえ困難になってしまいます

正義を追求し過ぎると
しばしば、そのような不幸な境遇に陥ってしまいます

腹の立つことの多い世の中です
不正がまかり通る世の中です
納得のいかないことの多い世の中です
私だって、毎日、腹を立てています
この世の中、何とかならんものかと、いつも考えています

しかし、それでも、自分だけがいつも正しいとは考えません
自分だって、知らないことばかりです
当然ながら、全知全能の神ではありません
自分も間違いを犯すのです
他の人々が間違いを犯すことを、一方的に非難はできません

だから、黙っているということではなく
”程度”の問題だと思うのです
常識とは”程度”を理解することだと思います

万引きと銀行強盗を同列には論じられません
親が子供の尻をピシャリと叩くのと
プロの格闘家が、一般人の顔や頭を、力任せに殴るのとは意味が違います

”程度”によって、意味がまったく違うのです

法律は言葉で出来ているので
言葉の持つ意味の広がりと深さを考慮しないと
不毛な議論が延々と続くことになります

”殴る”とか”暴行”という言葉の意味が、状況によってまったく変わります

他人の話を聞くということは
言葉の奥の深い意味を知ろうとする努力なのです

なぜ、その人が、ここまで強く訴えるのか
世の中の普通の人では経験できないことを、その人が見聞きしたのかもしれない
そうした思いをもって人と接する中に
人と人の真のコミュニケーションが成り立つのです

一般的な意味のやり取りなら
業務連絡のごときものであり
伝達方法さえ間違わなければいいのです
限定された意味と簡略化された表現を正確に理解できればいいのです

しかし、裁判とか政治とかいうものは
品番と数量だけで発注する商行為とは、わけが違います

言葉の奥に個別の深い意味があり
それを理解するのと、しないのとでは
正反対の意味になってしまうことさえあるのです

人の話は最後まで真剣に聞きましょう
そして、疑問点は問いただしましょう
大切なことは”真実”を知ることです
敵味方に分かれて、勝った負けたとやることが目的ではありません