木村氏は、川崎の会社を1年半で退職しました

帰郷したその日は、台風が青森を通過した直後でした
弘前駅に迎えに来たのは祖父一人であり
他の家族は、暴風雨の被害を受けたリンゴ畑や水田に出払っていました

田圃を見ると、川の水があふれ、穂先だけが水面から出ていました

「これだから百姓は嫌いだ」

それが木村氏の率直な思いでした

木村氏は、ただちに被害額を計算してしまいます
土まみれになって働いても
ちょっとした自然の気まぐれで、1年間の収入が激減してしまう
百姓というのは効率の悪い時代遅れの職業だ・・・という結論しか出てきません

木村氏のお母さんは

「都会で人の歯車になって働くより、この方がずっといい」

「百姓では金儲けはできなかもしれないが、自分は好きだ」

・・・と話しました
しかし、木村氏の耳には入りませんでした

父を手伝いながら、なんとか農業を継がない方法はないかと考えていると
幸運なことに、自衛隊に入った兄が思い直して、家に帰って来てくれました

家を継ぐ義務から解放されて
木村氏は、ふたたび都会に出て、勤め人に戻るか
あの湘南のチューニングショップに正式に弟子入りして
本格的なメカニックになるか
夢をふくらませていました

しかし、結局、農業をすることになりました
中学校時代の同級生、木村美千子と結婚したからです
美千子は木村家の跡継ぎ娘だったので
結婚するためには、木村家に婿養子に入らなければならなかったのです

ここまでずっと、木村氏と書いてきましたが
正式には、この時から、三上秋則は木村秋則となったのです