木村氏は、けして
コンピューターを嫌ったわけではありません
パンチカードの打ち方を憶え、コンピューターの仕組みを学び
その内部に秘められたブラックボックスを研究することは
子供の頃、玩具を分解して遊んだのと同じで
木村氏の娯楽のようなものでした

川崎での生活は、木村氏にとって、本当に楽しい思い出でした

原価管理課の仕事は
各課の経費をチェックして
経費節減を促がすという憎まれ役にもかかわらず
どの課でも、彼は歓迎されました
木村氏が来ると、職場全体が明るくなると言われました
陽気な津軽弁の大声と、天真爛漫な笑顔のなせるわざ・・・だったのでしょうか

週末になると、湘南のチューニングショップに通いました
ショップの主人と知り合いになって
エンジンの改造という、高校時代からの趣味に没頭しました

カムシャフトを、鏡のようにピカピカになるまで研磨し
エンジンをパワーアップします
指先で触りながら削り具合を確認します
やがて、指で触るだけで
1000分の1ミリの違いが分かるようになりました
機械を使うより、ずっと正確でした

当時はセリカとスカイラインをメインに扱いました
当時のスカイラインは120馬力ほどでした
これを300馬力にするのは簡単でした

エンジンのチューニングを仕事にしたら面白いだろうな
・・・そんなことを考えていた頃
実家の両親から家に呼び戻されました
兄が、パイロットになりたくて、自衛隊に入隊してしまい
次男である秋則氏が、家を継がなければならなくなったためでした