木村秋則氏は昭和24年8月に
青森県中津軽郡岩木町に生まれました
生家の名字は三上といい、代々続いた農家です
大金持ちというほどではないにしても、暮らしに困ることの無い家でした
祖父は昔ながらの人で、勉強を嫌いました
農家に勉強は必要無いという考えの人だったのです
学校の宿題も、祖父が寝た後の夜中にしていました
母親がこっそり蝋燭を持ってきてくれました
手元が暗くならないように3本の蝋燭を立てて勉強したそうです
得意な科目は算数と理科、絵画は大人顔負けの才能を持っていました
宿題で障子紙に山水画風の墨絵を描いた時は
先生に叱られました、大人に描いてもらったと誤解されたからです
その絵は後に、あるコンクールで金賞を獲得しました
少年時代に、彼が一番夢中になったのは機械でした
小学校の低学年のころから
玩具は買ってもらうそばからバラバラに分解してしまいます
玩具にとどまらず、置時計でもラジオでも
大人の目を盗んでは、片っ端から分解しました
どんなに叱られようと、やめようとはしませんでした
中学生になると電気に興味を持ちました
無線機を作り、電柱から直接電線を引っぱって実験をしていると
うっかりドライバーでショートさせてしまい
付近一帯が停電になってしまったこともありました
さすがに、この時は叱られたそうですが
彼の悪戯は一向に止みませんでした
真空管でコンピューターを作ろうとして
完成させると3階建てのビルくらいになるのに気付いて
途中であきらめたこともありました
高校時代はアンプを何台も作りました
エレキギターを弾く友人にたのまれて
三日三晩ほとんど不眠不休で完成させたアンプは
出力が強すぎて、弦を引いた瞬間
スピーカーが爆発したようなとんでもない音を出したきり
ウンともスンともいわなくなってしまいました・・・
青森県中津軽郡岩木町に生まれました
生家の名字は三上といい、代々続いた農家です
大金持ちというほどではないにしても、暮らしに困ることの無い家でした
祖父は昔ながらの人で、勉強を嫌いました
農家に勉強は必要無いという考えの人だったのです
学校の宿題も、祖父が寝た後の夜中にしていました
母親がこっそり蝋燭を持ってきてくれました
手元が暗くならないように3本の蝋燭を立てて勉強したそうです
得意な科目は算数と理科、絵画は大人顔負けの才能を持っていました
宿題で障子紙に山水画風の墨絵を描いた時は
先生に叱られました、大人に描いてもらったと誤解されたからです
その絵は後に、あるコンクールで金賞を獲得しました
少年時代に、彼が一番夢中になったのは機械でした
小学校の低学年のころから
玩具は買ってもらうそばからバラバラに分解してしまいます
玩具にとどまらず、置時計でもラジオでも
大人の目を盗んでは、片っ端から分解しました
どんなに叱られようと、やめようとはしませんでした
中学生になると電気に興味を持ちました
無線機を作り、電柱から直接電線を引っぱって実験をしていると
うっかりドライバーでショートさせてしまい
付近一帯が停電になってしまったこともありました
さすがに、この時は叱られたそうですが
彼の悪戯は一向に止みませんでした
真空管でコンピューターを作ろうとして
完成させると3階建てのビルくらいになるのに気付いて
途中であきらめたこともありました
高校時代はアンプを何台も作りました
エレキギターを弾く友人にたのまれて
三日三晩ほとんど不眠不休で完成させたアンプは
出力が強すぎて、弦を引いた瞬間
スピーカーが爆発したようなとんでもない音を出したきり
ウンともスンともいわなくなってしまいました・・・