自分が知らない世界を、人はどこまで理解できるものでしょう

私はアメリカに行ったことがありません
しかしアメリカのことを、なんとなく知っているような気がしています
それは、毎日のように、テレビ映像を通じて
私が、アメリカの情報に接しているからでしょう

映像や音声を伴う情報は
言葉や文字による情報、いわゆる言語情報にくらべて
現実感が強いため
意図的に切り取られ、編集された情報であることを忘れ
あたかも実際の経験に近い印象を受けてしまいます

情報とは何か、経験とは何かということを突き詰めれば
体感が同時共有されているのが”経験”
部分的な感覚に頼るのが”情報”と言うことが出来ます

話し言葉は聴覚だけ、文字は視覚だけの”情報”です

これに対し、経験とは体感が同時共有されていることを意味します
例えば交通事故の現場に遭遇したとすると
その時の音、情景、気温、臭い、風の方向、地面の振動、人々の話し声・・・
全ての体感が同時に一つの経験として共有されているのです
これが”経験”です

情報と経験の違いは、私達の行動によって決まります

テレビを観るという行動の中に
ディズニーのアニメという”情報”もアフリカの内戦という”情報”も含まれます
しかし、それらはいずれも情報であり
視聴者は、あくまで”テレビを観るという行動”をしているに過ぎません
経験としては、テレビを観るという経験しかしていないのです

情報がどこまで経験に近い意味を持つかは
情報の持つ信用力にかかわります
しかし情報の信用力は情報発信者の信用力を
経験を基に判断するしかありません

普段、嘘を吐かない人は、話すことも信用されるでしょう
嘘ばかり吐いている人は、やはり信用してもらえません
私は北朝鮮や朝日新聞は信用しませんが
それは経験的に、彼らが嘘吐きだと知っているからです