源頼朝がわずかの兵を率いて決起したとき
彼の決意を支えていたものは何だったのでしょうか?
常識的に考えれば、ありえない暴挙です
実際に頼朝は、大庭影親率いる三千の軍に、あっさり蹴散らされています

本来ならここで、頼朝の人生は終わりとなるはずでした
そうならなかったのは、梶原景時が頼朝を逃がしたからです
従来の解釈では、梶原景時が独自の判断で裏切ったとされていますが
そうではなく、大庭影親の指図によるものだったと私は考えます

現在の市町村でいえば
大庭影親と梶原景時の所領は、藤沢の大庭と鎌倉の梶原です
しかも、この二人は従兄弟同士です
近所に住む従兄弟に先陣を任せた、大庭影親の意図を察するべきでしょう
大庭影親は、はじめから頼朝を討つ気はなかったのです

頼朝の決起を知らされた時、大庭影親は

「いっそ、あの時、六条河原で切られていればよかった!」

と言ったと伝えられています

平治の乱で活躍した大庭影親は、美男で教養もあったため
京都では、大変女性にもてました
そして、なんと天皇の愛人とも関係してしまいました

事が発覚し、当然打ち首となるわけです
ところが、六条河原に引き出された大庭影親は
平清盛の命により、打ち首をまぬがれたのです

この時の清盛への恩義によって
大庭影親は、あえて平家方の総大将として、頼朝を討つ側に回ったのです
本当は頼朝方に付きたかったのです

難をまぬがれた頼朝は船で相模湾を横断し
さらに三浦半島の三浦一族の助けを得て、房総半島に渡ります
房総半島で、その地の武士団を傘下に収め
現在の東京を経て、鎌倉に入り、その地を根拠地とします
招き入れたのは梶原景時で、彼は頼朝の重臣となりました

これが鎌倉幕府の出発点となります