チベットと中国は、はじめは条約に基づく関係でした
1951年に、北京政府とチベットの間に条約が結ばれて
それによって、チベットの有力者はそれなりの地位も与えられていました
ただし人民解放軍の兵士がチベットに送り込まれてきました

これは戦後の日本とアメリカの関係にそっくりです
日本の政治や行政は日本人が行っていますが
軍隊は米軍が駐留しています
その軍隊は日本人を助けるためのものではありません

現在の日本でも
駐留米軍兵士による日本人への犯罪は、大きな社会問題になります
最近も、横須賀で米軍兵士によるタクシードライバー殺害事件が起きました
新聞論調は必ず、反米軍・反基地といった様相を呈します
これが少女への暴行や殺人事件であれば
世論は沸騰し、必ず政治問題となります
沖縄では、この種の事件が度々起きています

チベットもそうでした

チベットには水道が無かったので
川から水をくんでくるのが女の子の仕事でした
女の子達は人民解放軍にも水を届けていたのですが
そうした女の子達が人民解放軍の兵士に暴行される・・・
・・・という事件が何度か起きたのです

はじめはチベットに友好的に見えた人民解放軍の兵士達でしたが
彼らの駐留の目的は、あくまでチベットの制圧と
インドとの国境紛争への備えですから
そこに住むチベット人のことは何も考慮していないことを
チベット人はすぐに気付かされたわけです

1959年3月10日
チベット人の不満は爆発し、大規模な暴動となりました
これが「チベット騒乱」と呼ばれるものです
北京政府はこれを力で抑えました
ダライ・ラマはチベットを追われ、インドに亡命することとなりました