ここまで鵜川昇先生のことを書いてきて
途中何度も、私などが書く立場には無いな・・・と感じていました
どこか後ろ髪を引かれる思いでした
私はあくまで、桐蔭学園の生徒の保護者という立場でしかなく
鵜川先生から直接教えを受けた人間ではありません
それより何より、娘がこの間に、桐蔭学園を受験していたのです・・・
それでも私がブログを続けたのは
今書かなければ、たぶん一生
鵜川先生のことを、このブログで取り上げることがないであろう
・・・という予感があったからです
私はなんとしても、鵜川先生の一生を、ブログで追ってみたかったのです
単発で取り上げるのと違い、シリーズもので扱うとなると
それなりの情熱が盛り上がらないと、どうにもならないからです
それは今しかない・・・との思いが私には強かったのです
もちろん、私の描ける”鵜川昇像”は限界があります
皆さんには、鵜川先生の残された著書などから直接学び
一人ひとりの”鵜川昇像”を作ってほしいと思います
気がつけば、ブログが終わらないうちに娘の入学が決まり
なんと!
4月からは、我が家の3人の子供が桐蔭学園に通うこととなりました・・・
最後に、ここまでお付き合いいただいた皆様に
「お別れの会」で、ご遺族のお話しにあったエピソードをご紹介します
鵜川先生が亡くなられて間もないある日
手紙の束を手に持った少年が
先生のお宅の前に、泣きながら立っていたそうです
その少年は学校でイジメに会っていました
鵜川先生は少年を励ますための手紙を何通も書きました
少年が手にしていたのは
鵜川先生が少年を励ますために送った手紙の束だったのです・・・
・・・鵜川昇先生のご冥福を心よりお祈りいたします
途中何度も、私などが書く立場には無いな・・・と感じていました
どこか後ろ髪を引かれる思いでした
私はあくまで、桐蔭学園の生徒の保護者という立場でしかなく
鵜川先生から直接教えを受けた人間ではありません
それより何より、娘がこの間に、桐蔭学園を受験していたのです・・・
それでも私がブログを続けたのは
今書かなければ、たぶん一生
鵜川先生のことを、このブログで取り上げることがないであろう
・・・という予感があったからです
私はなんとしても、鵜川先生の一生を、ブログで追ってみたかったのです
単発で取り上げるのと違い、シリーズもので扱うとなると
それなりの情熱が盛り上がらないと、どうにもならないからです
それは今しかない・・・との思いが私には強かったのです
もちろん、私の描ける”鵜川昇像”は限界があります
皆さんには、鵜川先生の残された著書などから直接学び
一人ひとりの”鵜川昇像”を作ってほしいと思います
気がつけば、ブログが終わらないうちに娘の入学が決まり
なんと!
4月からは、我が家の3人の子供が桐蔭学園に通うこととなりました・・・
最後に、ここまでお付き合いいただいた皆様に
「お別れの会」で、ご遺族のお話しにあったエピソードをご紹介します
鵜川先生が亡くなられて間もないある日
手紙の束を手に持った少年が
先生のお宅の前に、泣きながら立っていたそうです
その少年は学校でイジメに会っていました
鵜川先生は少年を励ますための手紙を何通も書きました
少年が手にしていたのは
鵜川先生が少年を励ますために送った手紙の束だったのです・・・
・・・鵜川昇先生のご冥福を心よりお祈りいたします