鵜川先生は教育への情熱を最期まで失いませんでした

病室から、いつも学園を見ていました
そして突然

「これから学校へ行く、すぐに背広とネクタイをもってこい」

と言い、周囲をあわてさせた
・・・そんなエピソードが学園関係者の間に伝わっています

鵜川先生はなぜ、教育への情熱を最期まで失わなかったのでしょう?
それは教育が、先生にとって青春そのものだったからではないでしょうか

鵜川先生は教育という名の”永遠の青春”を生きていたのだと私は思っています

戦争により勉学の道を断たれた先生は
戦中戦後を、青春を忘れて、生きてきました

戦後の混乱を生き抜き、結婚もし、もうすぐ三十歳になろうという時
台風で全財産を失い、やむを得ず就いた教職で
先生は自身の青春に出会い、また生徒達の青春と出会ったのでした

鵜川先生は栃木高校の1年間は10年にも感じると語っています

宇井純らと熱く語り合った1年は
宇井純ら栃木高校の生徒達だけでなく
鵜川先生にとっても、熱き青春であったはずです
先生にとっては、10年分の青春を取り戻す1年だったのかもしれません

これ以後、教育は先生にとって青春そのものとなりました

学園の見える病室で闘病しながら
最後まで教育への情熱を失わなかったのは
教育の場にいるかぎり、先生にとって
そこは青春の真っ只中だったからではないでしょうか