鵜川先生は、中教審の委員として、建築家丹下健三と知り合いました

最初に依頼したのは、新設の女子部の建物の設計です

高い国際的評価を受け
内外の国家プロジェクトや都市計画を手掛けてきた丹下健三が
中学校の増築工事を引き受けるというのは異例のことです

外観を見ただけで行きたくなり
中に入れば、どうしてもそこに居たくなる建物・・・というのが
鵜川先生が丹下健三にお願いした条件でした

メモリアルホールを作る時は
演劇と音楽の両方ができる音響効果のいいもの
という条件で依頼しました

しかし丹下健三は、この条件に難色を示しました
音楽と演劇は、構造だけでなく、音響効果のあり方も違うから
一緒にするのは不可能だというのです

ここで鵜川先生はオペラを例にあげて食い下がります
音楽性と演劇性の両方を持っているオペラができるホールにすれば
問題はないはずだと提案したのです

その結果できたのが
オペラハウスのような構造をしたメモリアルホールなのです

外観デザインも
どこからも目立つ、竹を切ったようなイメージで
鵜川先生自身のアイデアだそうです

自伝の中で、鵜川先生は次のように記しています

平成17年3月22日、大変なご苦労をお掛けした丹下先生の訃報に接した
満腔の感謝とともに謹んでご冥福を祈りたい

国内外の国家プロジェクトが並ぶ丹下健三の作品リスト中に
桐蔭学園の名を発見することは
学園関係者にとって、微笑ましくも、誇らしいことではないでしょうか?