東京品川で生まれ育った鵜川先生は
少年時代から新橋演舞場に通い、芝居見物の楽しさを知っていました

中学1年の時、兄に連れられて行った新橋演舞場での前進座の舞台
演目は「勧進帳」と「若き日の石川啄木」
その感動を作文にすると
国語の浅野時一郎先生が激賞してくれました

鵜川先生は、浅野先生を中学時代の唯一の恩師と断言します

浅野先生に激賞されたことは
後年、鵜川先生が国語教師となる遠因となった”事件”であるかもしれません
少年の日の感動が、後生に大きな影響を与えることの
一つの証明であるかもしれません

鵜川先生ご自身が、そのことを良く理解していたはずです
大規模なホールを作りたいというのが、学園創立以来の先生の夢でした

子供といえども本物には感動する
そして少年の日の感動が、その子の一生に影響する
子供達に本物を見せて、本物の感動を味わってほしい
そんな先生の思いが結実したのがメモリアルホールです

「お別れの会」で、榊原学園長から、今後メモリアルホールを

「鵜川メモリアルホール」

と呼ぶことが発表されました

素晴らしいことです!
メモリアルホールこそは
鵜川昇先生を記念するのに、もっとも相応しい施設だからです