桐蔭学園でも女子教育をしてほしいという要望が
各方面から出て来るようになりました
そして、やや深刻な問題もありました
桐蔭学園には小学部があります
ここを卒業した女子を進学させるのに
ふさわしい中学校を見つけるのが難しかったのです
鵜川先生は、これを時代の要請であると考えました
しかし周囲の男女共学の教育を見ると
先生が体験した男女共学の弊害が
まだ残っているように感じられてならないのでした
それならば、何か新しい女子教育の体制を考えてみよう
今ある共学を改革するのではなく
今までに無い形に挑戦してみようと、鵜川先生は考えたのでした
そこで考え出されたのが「男女併学」です
高校2年までは男女を分けて教育し
高校3年になると、ホームルーム以外の学習を
進路別に男女一緒の授業とするのです
昭和56年、桐蔭学園女子部は誕生しました
女子部の建物を設計したのは丹下健三です
丹下健三は、代々木体育館や都庁舎、お台場のフジテレビ・・・などを設計した
20世紀日本を代表する建築家です
丹下健三が学校の建物を設計するのは、これが初めてでした
各方面から出て来るようになりました
そして、やや深刻な問題もありました
桐蔭学園には小学部があります
ここを卒業した女子を進学させるのに
ふさわしい中学校を見つけるのが難しかったのです
鵜川先生は、これを時代の要請であると考えました
しかし周囲の男女共学の教育を見ると
先生が体験した男女共学の弊害が
まだ残っているように感じられてならないのでした
それならば、何か新しい女子教育の体制を考えてみよう
今ある共学を改革するのではなく
今までに無い形に挑戦してみようと、鵜川先生は考えたのでした
そこで考え出されたのが「男女併学」です
高校2年までは男女を分けて教育し
高校3年になると、ホームルーム以外の学習を
進路別に男女一緒の授業とするのです
昭和56年、桐蔭学園女子部は誕生しました
女子部の建物を設計したのは丹下健三です
丹下健三は、代々木体育館や都庁舎、お台場のフジテレビ・・・などを設計した
20世紀日本を代表する建築家です
丹下健三が学校の建物を設計するのは、これが初めてでした