桐蔭学園の名を全国に知らしめたのは
なんといっても、昭和46年夏の
全国高校野球甲子園大会での優勝です

私は当時中学生でしたが
この時のことは、よく憶えています

桐蔭学園高校という、それまで聞いたこともなかった高校が
神奈川県代表として甲子園出場を果たし
あれよあれよと言う間に勝ち進み、優勝してしまったのですから

友人とラジオを聞きながら

「おい、アキモト監督だってよ」

「ちがうよ、キモト監督だよ」

なんて会話をしたのを憶えています

創立して間もない高校が、甲子園初出場初優勝をなしとげたのです

しかし、この輝かしい快挙は
鵜川先生にとっても、桐蔭学園にとっても
ちょっとほろ苦い経験であったようです

なんといっても、決勝戦の相手がよくありませんでした

決勝戦の相手は福島県代表、磐城高校でした

鉱山が閉山になり、来年は廃校になるかもしれない
今年が最後の甲子園になるかもしれない・・・というようなことを
新聞が書きたてたのです