山手英学院を退職した鵜川先生は、新設高校の計画に専念します

土地は横浜市港北区(現在の青葉区)鉄町の2万坪
高校の建物は申請を出したのですが、すぐには通りませんでした
許可が降りなければ、着工も遅れてしまいます

柴田氏は高専と高校を別にして出発したらどうかと提案しました

これが桐蔭学園の始まりです

もともと、この土地は東急が学校用地として買収したものでした
東急の総帥・五島慶太は柴田氏と高等師範の同窓であり、家も隣同士でした
五島慶太亡き後、息子の五島昇は学校経営の意志がなく
柴田周吉氏に話が回ってきたのでした

東急の五島慶太といえば
強盗慶太と異名をとる、豪腕の実業家として知られていました
企業買収、乗っ取りに勇名をはせたものでした
一方、息子の五島昇は、ハンサムで上品な財界の名士でした

五島慶太が、高等師範の出身で
晩年に学校設立の計画を持っていたことが私には意外です
豪腕実業家の、世間に知られざる一面を見たように思います

五島慶太は、この地に早稲田・慶応に匹敵する大学を作りたかったようです
その土地と学校設立の夢を、鵜川先生達が譲り受けたのでした