小山台高校の父母の推薦があり
鵜川先生は駿台予備校の講師を兼ねるようになりました

当時、都立高校の教員には週一回の研究日があり
届出をすれば、予備校でのアルバイトが許可されていたのです

鵜川先生にとって
予備校で、熱心な生徒に授業する喜びは格別でした
それと同時に、予備校では受講生の要求も厳しく
魅力のない授業をすると、生徒が集まらなくなることを知りました

予備校は、学歴など通用しない、能力社会そのものだったのです

予備校の教師にも、面白い人が多かったといいます

駿台予備校では、英語、国語、数学の3教科を
生徒の学力に応じてクラス編成をしていました
こうすると、教える側は生徒の学力に合わせた教え方ができるし
生徒の方も集中力が高まるのでした

予備校では270人の大教室で授業をしていました
それでも高校よりも予備校の方が勉学の効果が高かったのです
その理由は能力別クラス編成にある・・・との思いが
やがて鵜川先生の信念となっていくのでした