鵜川先生が都立小山台高校に補習科を作ったことに
私はとても興味をひかれます
これこそが、後の桐蔭学園誕生のきっかけであると考えるからです

私はここまでの”鵜川昇先生のこと”を
鵜川先生の自伝である「わが人生」にしたがって書いてきました
ただし、この補習科設置の件では気になる記述があるのです

補習科設置を東京都教育長に一蹴された後

「方法はあるよ」

と知恵を授けてくれた先輩とは誰でしょう

そもそも補習科設置のための確実な抜け道があり
そうやって補習科設置をすることの前例があったとしたら
鵜川先生は悩まず、その方法をとったはずです

前例が無いことを自信をもって

「方法はある」

と断言できる人とは誰でしょう?

東京都教育長その人です!

東京都教育長とPTA会長の柴田周吉氏は高等師範の同期でした
鵜川先生の先輩にあたります
彼らが鳩首協議して、どこからも文句の出ない形で開設したのが
小山台高校の補習科だった・・・と考えるのが自然です

そして、柴田周吉氏こそは、桐蔭学園初代理事長です