小山台高校に補習科を設置するのは無理かなと
鵜川先生が思案していると

「方法はあるよ」

と知恵を授けてくれた先輩がいました

補習科設置を届け出て、許可が下りなくても
書類が返送されなければ
受理されたものとして行動しても構わないというものでした

柴田会長に相談すると

「よし、やれ」

と言われたので
卒業生の名で校舎使用願いを出し
補習科は設置されることになったのでした

ただし補習科のために教室を使うことはしませんでした
たまたま同窓会が買った土地があったので、それを利用したのです

そこには工作室と図書館がありました
工作室をつぶして補習科室にしたのでした
工作室の主任を説得したのは鵜川先生でした
彼は泣きながら、工作機械を外に運び出していたそうです・・・

なお、補習科の問題はまだありました
日比谷高校は既得権として許されていましたが
小山台高校の場合、現役の教師を使うわけにはいきませんでした
そこで予備校の教師に頼むことになりました

英語はラジオ講座で有名な西尾孝氏でした
小山台の教師をしたこともあり、面白い授業に人気がありました
ただし、その講師料の高額は驚くべきものでした

西尾氏の1時間の講師料は3000円でした
大学卒の初任給が1万円に満たない時代の話です