鵜川先生が小山台高校に赴任した頃
都立高校はいくつかの学区に分かれていて
小山台高校は第一学区で12の高校がありました

そのトップに日比谷高校がありました

高校進学は、総合選抜というものが行われていて
校長が集まり、成績表を見ながら選抜していきます

日比谷のようなトップクラスの高校は
オール5の子供でも選抜から漏れることがあり
入学試験は、ほとんど満点でないと、入学できなかったそうです

日比谷高校は補習科を設けて成功していました
この補習科は在校生を対象としたものではありませんでした

日比谷高校はきわめて自由な校風でした
在学中は、スポーツでも音楽でも好きなことをやり
高校生活を十分エンジョイして、入試に受かればよし
受からなければ、学校が用意した補習科で勉強すればよかったのです

補習科はもっとも優秀な教師が担当していました
ですから、日比谷高校の浪人生は予備校に行きませんでした

ただし、現役の高校生を教えるべき教師が
浪人生を教えているわけですから
本来なら、教育委員会が問題とすべきことではありました

鵜川先生は小山台高校に補習科を作ることを提案しました