栃木高校をやめて
鵜川先生が赴任したのは、都立小山台高校でした
そこで先生がやりたかったのは進学指導でした
現在ほど進学率が高くなかった時代
進学を希望する生徒は皆とても熱心に勉強しました
先生は彼らの役に立ちたいと考えたのです
鵜川先生は国語の担当です
終戦直後は現代国語を教える先生がいませんでした
旧制の大学の国語科で教えるのは古典と漢文であり
現代国語はなかったからです
先生は吉田精一氏と著書を通して知り合い
好学社の高校教科書の現代国語の編修メンバーとなりました
また、本好きの先生は図書係りもしました
生徒に読書を勧めたかったからです
英語教師といっしょに図書係りをしながら
受験に出る文章を克明に調べ、出典や解説書を図書館に揃えたのです
ところが、その図書館が漏電で燃えてしまいました
復活のための寄付を募ると、当時のお金で100万円が集まり
蔵書は充実し、東大にもないような書物があると言って
卒業生が見に来ることもあったそうです
小山台高校は図書関系はすべて、鵜川先生に任せられていました
先生はいろいろな本を買い入れ
生徒達と読書会をしていました
鵜川先生が赴任したのは、都立小山台高校でした
そこで先生がやりたかったのは進学指導でした
現在ほど進学率が高くなかった時代
進学を希望する生徒は皆とても熱心に勉強しました
先生は彼らの役に立ちたいと考えたのです
鵜川先生は国語の担当です
終戦直後は現代国語を教える先生がいませんでした
旧制の大学の国語科で教えるのは古典と漢文であり
現代国語はなかったからです
先生は吉田精一氏と著書を通して知り合い
好学社の高校教科書の現代国語の編修メンバーとなりました
また、本好きの先生は図書係りもしました
生徒に読書を勧めたかったからです
英語教師といっしょに図書係りをしながら
受験に出る文章を克明に調べ、出典や解説書を図書館に揃えたのです
ところが、その図書館が漏電で燃えてしまいました
復活のための寄付を募ると、当時のお金で100万円が集まり
蔵書は充実し、東大にもないような書物があると言って
卒業生が見に来ることもあったそうです
小山台高校は図書関系はすべて、鵜川先生に任せられていました
先生はいろいろな本を買い入れ
生徒達と読書会をしていました