鵜川先生がたった1年で栃木高校をやめ、東京に出たのは
先生ご自身の希望であったこともたしかなのですが
校長がそれを望んでいたという事情もありました

鵜川先生はもともと文学青年であり、特に島崎藤村に傾倒していました
島崎藤村の全集は全て持っていました
しかし戦争中は未練を残さないために、それらを遠ざけ
戦後は生活に困って、全て売り払ってしまったのでした

栃木高校の教師となり
開いた教科書の最初は島崎藤村詩集でした
最初の一節を目にしたとき
懐かしさと喜びで震える思いだったということです

これで先生の文学青年の魂に火が点いてしまい
同人誌を作ることになったのです
ところが、そこに集まったのが共産党系の人だったために
先生はあらぬ誤解を受けることになったのです

共産党のトップと一緒に歩いているような教師は
即刻辞めてもらうべきだと、PTA会長に告発されてしまったのです
校長は弁護してくれたのですが
その機運は次第に広まっていきました