教育者の中の教育者ともいうべき鵜川昇先生ですが
意外にも、はじめから教師になったわけではありませんでした
学生のときに戦争が始まり、卒業を早められ
戦争が終わるまでは、軍隊にいました
戦後の混乱期は
栃木県から東京に炭を運んで売り
その帰りは魚を仕入れて宇都宮で売る
・・・というようなことをしていたのです
ところが昭和22年に
カスリーン台風と呼ばれた大きな台風があり
その時の洪水で、自宅を流されてしまい
全財産を失ってしまったのです
事業再開の目途も立たぬまま、途方にくれていると
戦後の公職追放で、教師不足が起きているという情報がはいります
栃木県庁の教育委員会に行ってみると
教師の口ならいくらでもあるということで
栃木高校の教師になることが決まりました
鵜川先生28歳のことでした
意外にも、はじめから教師になったわけではありませんでした
学生のときに戦争が始まり、卒業を早められ
戦争が終わるまでは、軍隊にいました
戦後の混乱期は
栃木県から東京に炭を運んで売り
その帰りは魚を仕入れて宇都宮で売る
・・・というようなことをしていたのです
ところが昭和22年に
カスリーン台風と呼ばれた大きな台風があり
その時の洪水で、自宅を流されてしまい
全財産を失ってしまったのです
事業再開の目途も立たぬまま、途方にくれていると
戦後の公職追放で、教師不足が起きているという情報がはいります
栃木県庁の教育委員会に行ってみると
教師の口ならいくらでもあるということで
栃木高校の教師になることが決まりました
鵜川先生28歳のことでした