東京教育大学理学部の学部長選びの教授会をどうするか
相談を受けた鵜川昇先生は
桐蔭学園で教授会をやることを提案しました

東京教育大学の前身の東京高等師範学校のOBというだけで
鵜川先生は大学の外部の人でした
しかし学生が占拠しているような場所にも

「君達の先輩だよ」

と言って、平気で入って行くような性格でした
母校のために一肌脱いだといったところでしょうか

教授会を開くために
メンバーの人々には神宮の入口のところに集まってもらい
チャーターした観光バスに乗り込むと
桐蔭学園までノンストップでひた走りに走ったのでした

鵜川先生は万一に備え、警察にも手配しておきました

桐蔭学園の管轄所である川和署は
校長室を本拠にして、50人の機動隊を待機させました

マイクを用意し、崖になっているところに車を置いて
いつでも崖を伝って逃げられるようにしておきました

責任は鵜川先生ともう一人が負うことになり
二人で署名したそうです

桐蔭学園での隠密裏の教授会で、宮島龍興氏は理学部長に選ばれました
ただし全学部の教授会が召集できないため
学長選挙はできませんので、宮沢氏は学長代行にとどまりました

宮島氏は後に筑波大学の学長になりました