1918年11月、ドイツは連合国と休戦協定に調印し
翌年1月、パリ講和会議が開催されました
これによって、第一次世界大戦が終了します

ドイツのスパイであるという名目で
ボースの国外退去を要求していたイギリスも、その大義名分を失い
ボースを追跡していた私立探偵の姿も見られなくなりました

結婚から2年を過ぎた1920年8月13日、長男正秀が誕生します
この「正秀」という名前は頭山満の命名です
さらに1922年12月22日、長女哲子が誕生します

「哲子」という名前は、ボースが中村屋に来て間も無く亡くなった
相馬夫妻の赤ん坊の名前です
哲子という名前には、相馬家とボースの深い思いが込められています

晴れて自由の身となったボースは
千駄ヶ谷町隠田(現在の原宿駅近く)に家を建て
一家でそこに住み始めました

この家は俊子のアイデアで設計されたもので
R・B・ボースの生涯の住まいとなりました
親子4人の家庭は、過酷な運命を背負いながらも、小さな幸福に包まれたのでした

1923年7月、R・B・ボースは日本に帰化しました
ボースは、インド国籍を捨て
日本人として、インド独立運動に邁進する決意を固めたのでした