ボースとグプターにとって
中村屋での生活は忍耐力を要するものでした
隠れ家となったアトリエからは、一歩も外に出ることができず
世話をしてくれる女中達は英語が通じません

彼らの唯一の楽しみは食事を作ることでした
アトリエには、キッチンが付いていましたから
女中にたのんで、スパイスや食材を手に入れ
自分達でインド料理を作っていました

ボースらの料理の様子を見ていた女中達は
次第にインド料理の作り方を覚え、これを黒光に伝えました
黒光もインド料理を覚え、ついには自分達で作れるようになりました
中村屋が「インドカリー」を商品化するのは、それから12年後のことです

アトリエにはキッチンとトイレは付いていましたが、浴室はありませんでした
キッチンで沸かした湯で、体を拭くことしかできません
東京が大変な暴風に見舞われた晩、黒光は二人を母屋に呼び、風呂に入れました
逃亡中の二人のインド人にとって、これが中村屋での唯一の入浴でした

この様な状況のもと、外部との連絡は困難を極めました
黒龍会や玄洋社のメンバーは、警察のチェックを受けるため
二人のインド人の手紙は、黒光が宛名書きと封印をし
数件別の人の手を通って、相手先に届くという方法をとりました
返事もまた、同じ様に返って来ます
そのため、一つの用件のやり取りだけでも、大変な時間がかかりました

1916年2月
二人のインド人の中村屋での生活は2ヶ月を過ぎました
インドでの逃亡生活に慣れているボースは
落ち着いて堂々としていました

グプターには、ボースのような経験がありませんでした
精神的に追い詰められてしまいました
彼は、ボースがトイレに立った隙に
2階の窓から逃亡しました