このような状況の下で、身の危険を察知するとともに
ボースは自分達が日本人によって庇護されている状況も認識します

ボースは日本の新聞記者との懇談を積極的に行い
日本人にインドの惨状を知らせ
自分達がおかれた窮状を訴える活動を展開し始めました

そのきっかけになったのが
当時、東京朝日新聞の記者であった山中峯太郎との出会いでした

山中は親交のあった孫文からR・B・ボースの存在を聞かされ
この”インド独立党の首領”に強い関心を抱き
ボースのもとを訪れました

ボースは山中にインドのおかれた惨状と自己の苦境を語りました
山中は二人の中国人の通訳を介して
ボースの話を必死に聞き取りました

会社に戻ると、山中は早速これを記事にしました
これが10月11日付けの東京朝日新聞に
「欧州戦と印度」と題して掲載された「P・N・タゴール」の談話です

山中峯太郎はその後、超人気作家となります
代表作は戦前の大ベストセラー「亜細亜の曙」です