ハーディング総督爆殺未遂事件を起こした当時
ラース・ビハーリー・ボースはイギリス植民地政府の官吏でした

事件後、何食わぬ顔で任地デラドゥンに戻り、森林研究所の仕事を続けました
負傷した当のハーディング総督が、静養のため訪れたデラドゥンで
総督の歓迎会を開き、彼を讃える挨拶までしています

これに感激した高等警視はボースを訪れ、革命家捜索の内容を打ち明け
書類を示し、万一の場合の援助を依頼したそうです

1913年5月17日、ラホールでイギリス高官爆殺未遂事件が起きます
背後でボースが指揮した事件でした
警察によりアジトが捜索され、ついにボースの正体が明らかとなります
ラホールで休暇中だったボースは逮捕をまぬがれましたが
この時から、彼の長い逃亡生活がはじまります

この逃亡期間中、爆薬の暴発でボースは左手に大怪我を負います
やがて左手の傷跡がR・B・ボースを識別するための
重要なポイントとなってしまいます

傷のいえた頃、ボースはラホール兵営のインド人兵士の一斉蜂起を計画します
ところが情報が事前に漏れ「ラホール兵営反乱事件」は失敗します
ここに及んで、ボースはインド出国を決意します

彼が目指したのは日本でした

ナワードウィップという町に潜伏し、出国のチャンスを窺いました
そしてノーベル賞詩人のタゴールが、日本行きを計画していることを知りました
調べると、タゴールの親戚にプレオ・ナース・タゴールという人物がいます
ボースはこのP・N・タゴールになりすますことをたくらみます
タゴールの日本滞在の下準備をする親戚になりきることにより
イギリス官憲を騙せると考えたのです

ボースは、この偽名を使って、カルカッタから神戸までの旅券を購入します
1915年5月12日、ボースは日本郵船会社の讃岐丸に乗船しました
途中シンガポールと香港で警察のチェックがありましたが、無事きり抜け
1915年6月5日、R・B・ボースは神戸に上陸しました