自ら”鬼”となることを決意し
仏に背を向け
力の論理を推し進め
家康への忠誠心だけを心の支えに生きたのが
本多作左衛門の人生であったと思います

その作左衛門が
書いた手紙や、発した”言葉”によって
後世の人々に記憶されるというのも
なにか不思議な気がします

言葉によって自己を表現する現代の政治家は
記録としては、多くの言葉を後世に残すのでしょう
しかし、彼らの発した言葉のどれほどが
"記憶"として、人々の心の中に残るのでしょうか