三河一向一揆鎮圧の後も
本多作左衛門は諸合戦で一軍の将として、戦功を重ねました

家康が三河を統一した後は
高力清長、天野三郎兵衛らとともに、三河三奉行に任ぜられました
三河の人々は

「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三郎兵衛」

といって囃しました

作左衛門が”鬼”と呼ばれるのには、それなりの理由があります
一向宗の門徒を襲撃以来、文字通り、性格も容貌も”鬼”となりました
一向宗の門徒からみれば、作左衛門は「仏敵」です
しかし、そればかりではありません

百姓に法度を出す時には
わかりやすい仮名書きにして高札を出すのですが
その条文には

「なになにをすると、さくざが、きるぞ」

などと書いてあったりしたのです

実際、作左衛門は法度を破る者があると、その場で斬り殺しました
それも人に任せず、しばしば手打ちにしました
作左衛門は、自分の手で、罪人を斬り殺したのです