昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として
赤松義次大尉は渡嘉敷島に赴任しました
任務は、120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った
米艦船への体当たり攻撃です
ところが、昭和20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に
出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまりました

「戦傷者戦没者遺族等援護法」は日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した
軍人、軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行されました
障害年金、遺族年金、弔慰金などを国が支給するための法律です
日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人は
戦闘参加者として援護対象となります
しかし命令外の行動で死傷した人々は対象外となります

戦後の貧困を極める渡嘉敷島を救うには
渡嘉敷島集団自決事件を軍命令とする必要がありました
関係者の間で、どのような謀議がなされたかは分かりません
命令書を偽造し援護金を引き出すことになり
赤松氏(元隊長)もそれに同意したのです

かつて特攻攻撃による死を覚悟した赤松隊長にとって
渡嘉敷島住民を救うためなら
自らを犠牲にすることに躊躇は無かったのでしょう
当時の厚生省の課長の言葉は
「赤松さんが村を救うため十字架を背負うと言ってくれた」
というものだったそうです
当局者全員が承知の上のことだったのです
関係者は皆、善意の人でした、私利私欲のためにそうした人はいませんでした