何かのことについて

 

言葉で表現できるのは

ほんの氷山の一角。

 

 

 

 

 

 

 

たとえば「愛とは何か?」を誰かに聞いて

答えとして返ってきた言葉は

水面上に出ているところだけ。

 

その意味するところのほとんどは

言葉では表現できない水面下にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

人から聞いた話

本から読んだものなど

言葉を通して伝えられたものは、

 

それだけだとわかりづらいから、

 

そしてわからないことは

わからないままにとっておくことが

苦手な人が多いから、

 

そこに今まで持っていた知識をくっつけて

「わかったつもり」になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

さらにそのことについて考えているうちに

あるいは人に伝えているうちに

今までの知識が上乗せされ、

 

 

 

 

 

 

 

 

その知識でおおい隠されて

もとの意味はほとんど水面下。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも「愛」について

わかっているつもり。

 

 

 

 

これ、よくあることなのです。

 

 

 

 

よく あること

 

 

 

 

でも、もし

わからないことはわからないままに

とっておけたら・・・

 

あるいは自分自身でそのことについて

宇宙に問いかけたら・・・

 

そして答えを出そうとせずに

そのまま宇宙に委ねていられたら・・・

 

自分自身が空っぽになった瞬間に

その答えが湧いてくる。

 

 

 

空っぽのままに問いかけたら

答えはそのままそこにある。

 

問いと答えはコインの裏表。

 

 

 

そのときは

 

言葉では表現しきれない

水面下の意味もすべて入ってきて、

 

 

 

 

丸ごと

 

 

 

 

同時にそれは必ず

無限宇宙そのものとつながっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが「理解」したということ。

それが「知恵」。

 

 

 

 

 

 

 

 

知識でわかったつもりになっている人の言葉は

その知識そのものが入ってくるから

わかったつもり族 が増える。

 

そこに氷山の波動(元々の意味)はほとんどない

 

 

 

 

知恵として受け取った人の言葉は

言葉では表現しきれないところも

丸ごと送られてくる。

 

そのまんま 送られる

 

 

 

 

テレパシーを受け取ることができる人だったら

それはそのまま受け取れる。

 

言葉以外のものがほとんどわからない人でも

そこには余計なものが入っていないので

 

焦ってわかろうとして知識をくっつけない限り

 

それはいつか意味としてわかるときがくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

知識は自らを制限する。

知識はただ自分も周囲も重くするだけ。

 

 

 

知恵は光。

自分も周囲も 軽く明るく する。

 

 

 

 

♡ 感謝 ♡

 

 

内なる響きに耳を澄ませ

 

ほんの少し静かなひとときを持ったら

 

そこには何が観える?