平和と創造 ~2~ | Universal ∞ Grace

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BLUE † FLAME&光るー

前の記事のつづきです。

 

最初に結論から言うと、

 

戦争と、そこから生き残った人が、

生きて、命をつなぐために体験してきた状況っていうのは、

極めて異常なケースだったってことです。

 

異常なケース。

 

つまり、そこで会得した生き方っていうのは、

他のことに汎用なんてできない知恵なんです。

本来はね。

 

人類の、特例体験。

 

ですが、実際はどうかというと、

長い間、汎用しようとしてきたのですね。

 

とにかく、生き延びるための選択。

命を次世代につなぐための我慢や自己犠牲。

 

 

過酷な体験だったはずなのに、なぜ手放せないのか。

 

極限状態におかれたとき、人間は、

エゴと無私の狭間に立っています。

 

そういうとき、一般的な善悪とか言ってられなくなり、

ある意味迷いが消えて進んでゆくのです。

 

生きているという感覚。

すごくセンタリングしているかのような感覚。

必死の中から搾り出されるインスピレーション。

同じ大変さの中で生きる連帯感。

 

苦しみは二度と体験したくない。

でも、あのときの「あの感覚」はまた感じたいのです。

 

だから、疑似体験としてのサバイバルを、

もう平和であるはずの日常の中で繰り返しています。

 

これが、後に高度経済成長へと繋がってゆく、

戦争のパターンです。

 

家系のパターンだと思っているものでも、

何割かはこの第二次大戦によるパターンです。

亡くなった方ではなく、生き残った人達によってできたものです。

 

このパターンは、確かに、焼け野原から復活することに繋がったし、

子孫を確かにつないできました。

 

今の日本は、追悼式でも毎年繰り返し言うように、

多くの犠牲と、生き残った人達の努力の上にあるのでしょう。

それは否定しません。

 

ですが、それは本当の創造性の結果じゃないのです。

それは、火事場の馬鹿力です。

 

異常な状況だったのです。

 

何度も言いますが、他のことに汎用などできないやり方なんです。

ずっと続けられるものではないのです。

 

ですが、家庭も学校も職場も多くは、ずっとこれを暗に推奨し、

様々な形で受け継いできたのです。

日常の、あらゆるシーンにまだまだ残っているのです。

 

自殺やひきこもり、ニートが増えている。

平和で便利な世の中になったのに、なぜ?

 

違うんです。

もうその異常なパターンを続けるには、社会が無理だということなのです。

 

戦後当時は、がむしゃらにやっていて、

それで乗り切った、乗り切れてしまったことでしょう。

ですが、その裏で、癒されないまま置き去りにしてきたものがある。

 

そのときの、極限体験でのひずみを、

次の世代が請け負ってしまっているのです。

 

戦争体験の世代の皆さんが持ち越したバトンを受けて、

いまの子孫が疲れ、病んでしまってるのです。

 

二度と、戦争が起こらないようにとみな言います。

それだけではなくて、

二度と、戦争によってつくりだされた異常なパターンを

次世代に受け継がせないように、ということが大事なのです。

 

すべてを失って、

あるいは足りないところから、

何かを創り出す、増やす喜び、

 

絶望的なところから、

忍耐によって報われたと感じたときの喜び、

 

極限状態まで追いやって見えて来る、

悟りのような世界観、

 

よりも、

 

すべてが充分に揃っているところから、

何かを創り出すほうが、歓びを感じるほうが、

より豊かにより多くのものを創造できると思いませんか?

より多くの人に貢献ができると思いませんか?

より自在に創造できると思いませんか?

 

これが、日本人が本来持っているクリエイティヴィティです。

知性も、感性も、この場において最大限に活かされるのです。

 

いま、あらゆるところで、あらゆる領域で、

日本人の集合意識と繋がっている人に、

この流れがきています。

 

アファメーション:

わたしたちは、豊かな国に住む、豊かな民族です。

わたしたちは、絶望的な状況でさえも、

その豊かな感性と知性によって復活することができました。

そしてこれからは、よみがえった豊かさの中で、

本当の創造性を発揮し、その感動を世界に拡げていきます。

 

 

ハナミズキ/一青窈