概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(99)
西暦2019年12月30日:月曜日
後半(99)
【『A・Course・in・Miracles』
最後の審判】
①【A・Course・in・Miracles】原文引用+前置き
②『「だって、司法が理想論を吐かなくてどうするんですか?司法の役割というのは、痩せても枯れても理想論を吐き、筋を通すことにあるのではないでしょうか?司法が立法や行政と一緒になって『政治』をやっていたら、法の支配だって、正義だって、公正だって、およそありえないと思いますが」』(小説『黒い巨塔 最高裁判所』より引用)。というような今回引用のこの部分は、笹原のここの箇所の言い分が、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性に即した基本的司法概念なので提示することにした。馴染み深い概念。なつかしい概念。何故なら、義務教育の社会の教科書や、高校では歴史やその他の社会科系統の教科書に書いてあるような戦後の日本の司法概念だからだ。勉強して暗記して、テストに出た内容みたいに、当たり前な基本的な司法概念だ。だから、須田長官やその他の上層部がかなり異常にしか見えないわけだ。腐敗を、不正を堂々とやり尽くそうとしていて、それを正当化しようと躍起になっている。安倍晋三首相と政権と同じ、堂々と腐敗と不正の限りを尽くさんと死に物狂いにしか見えない狂気状態。『権力は必ず腐敗する』とかジョージ・オーウェルが言っているようにね。腐敗しない権力なんかないのさ。そして、腐敗しない組織も存在しない。何故だか、エゴなら解るよね?だって、この領域から漏れたすべての権威ある組織やその他すべてを歪めて、エゴ自体があらゆる権力を使い、あらゆる組織を使い、その健全な機能すべてを破壊してきたんだから。すべては、不都合存在を排除するために。その為だけに、権力も組織もそのトップや上層部やすべての人員も、エゴはその意図を込めて作ってきたのだから。その代表格が、二大フィクション大魔王安倍晋三首相とトランプ大統領だろ?だから、不都合存在排除のために、あらゆる権力、組織、そして人員に凄まじい狂気が込められてしまった。その痕跡が今、凄まじい狂気レベルでこの領域に表現され尽くされている。『不都合存在排除』ーー要するに、エゴは『不都合存在排除の正当化』を目指して世界のやり直しを延々としてきたわけだ。使えるコマ、手段すべてを不都合存在排除の為に作ってきた。その為に一番動かしやすい、権力と組織をエゴの思い通りに作ろうとするのは当たり前だ。だから、何にせよトップや上層部、要するに権力があるすべて、『他者に影響力があるすべて』はエゴ意図を一番込められやすい為に、一番狂気化しやすいという実態がまざまざとこの領域に表現されている。現在、そして歴史的過程でね。というわけで、『影響力がある手段』を使ったエゴ意図すべてを崩壊させる為に【終わらせる為に作用する何か】は、エゴが前々に『やっちまった(正反対のことをエゴは最初にやってしまう。例えばあからさまな殺戮の勧め思想とか)』すべてもこの領域に表現させて、相剋させて、その特別性の意図を壊滅的にさせる。取り繕いが完全に不可能な位に。だから、すべての『影響力がある手段』は、権力者にせよ、組織にせよ、影響力がある人物にせよ、この領域段階ではもはやイメージがガタガタに崩壊しきっている状態にされている。政治家も、警察も、司法も、ありとあらゆる影響力がある手段すべて。故に、すべての『影響力がある手段』が力を持つことはあり得ない。もう終わりすぎたエゴ意図手段と成り果てている。だから、エゴが最高裁の権威にエゴ意図を込めて貫き通すなんて、この領域段階で現実性の中ではできるわけがない事態に陥り過ぎている。そして、『影響力がある手段』でエゴがやりたいことは、『不都合存在排除』。『不都合存在排除』とは、要するに『犯罪の正当化』をやりたいということになる。だからこそ、エゴが用いて作ってきた『影響力がある手段』は、必ず『犯罪』と成り果ててしまう。エゴは何とかして『不都合存在』を排除したい。だから、事実を歪める。『不都合存在』を『悪』と仕立て上げる為にでっち上げとなり、冤罪となる。『不都合存在』を『悪』に仕立て上げること自体が、この領域の現実性の中では『犯罪』だ。必ず【終わらせる為に作用する何か】は、『不都合存在排除』を正当化させない。だから、『不都合存在』を『悪』に仕立て上げられない。だからこそ、【真相】は必ず発覚させられる。エゴが排除したい『不都合存在』の【無辜(罪のないこと)】が証明される。それが、『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である『この領域』だ。そして、『不都合存在』の排除を正当化させるためのエゴの死力を尽くしてきた手段は、【『人権』を奪うこと】だった。その為に、安倍晋三首相と政権で改憲を死に物狂いで目指し、人権を保障する『日本国憲法』を破壊しようとしてきた。その為に、政治(行政・立法)の健全さを破壊し尽くしてきた。その為に、警察の健全さを破壊し尽くしてきた。その為に、裁判所(司法)の健全さを破壊し尽くしてきた。すべての『影響力がある手段』の健全さを破壊し尽くしてきた。そして、『この領域』は、『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』だから、エゴがやったすべての真相が発覚されることになる。だからね、エゴ。いくら最高裁をエゴ意図で汚染させて世界を作っても、無駄だと思い知らされる。問題の根本はそのレベルにはない。いくらやっても【偽物世界(異世界)】だと発覚するのみ。第一、前日言ったように、最高裁が『魔法信仰』に成り果てて、人間の現実性が欠落しきった、世界基盤概念欠落事態が発覚した【偽物世界(異世界)】の痕跡が出てきただろ?『絶対に壊れないモノ』って、【世界の理】を根本的に全否定してしまうような、人間じゃなさ。そんな全否定レベルは、人間じゃない化け物にしかなれない。そもそも、最高裁の判決なんか問題なんかじゃないんだよ。それ以前の基盤概念欠落が大問題となり、人間じゃない化け物にしかなれないんだから。そんなレベルの話で、何が判決だ?人間じゃない化け物の判決は現実性じゃないだろ。現実性なんか一切主張できないだろ。それは、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性の観点の判決じゃないと判断されるのみ。そんな最高裁なんか、非現実証明にしかなれない。だからね、エゴ。いくら最高裁だとか権威あるすべてをエゴ意図通りに作ろうとしても、単に発覚されるのは、『人間の現実性欠落』と『世界の非現実性』だけなんだよ。エゴがどの段階で何を作ろうが【知覚ある世界すべてはエゴが作った非現実インチキ】だと最終的に証明される。それこそが、【終わらせる為に作用する何か】の【最後の審判】だ。そして、エゴにとっての『不都合存在』すべてが、あらゆるエゴの排除手段(冤罪も含め)を、決して正当化されなかったという最終的結果が【最後の審判】だ。エゴが排除したい『不都合存在』の完璧な【無辜(罪のないこと)】が証明され、すべての排除手段は不当だと証明される。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける
【①【A・Course・in・Miracles】原文等引用+前置き】
西暦2019年最後の概念記事。
西暦2015年終わり頃から、西暦2017年に至るまで「特別性」に関する概念記事を書いてきた。
去年西暦2018年に引き続き今年西暦2019年も、これまでに引き続くが、この本物:佐藤篤代が目の当たりにした、この領域(世界)に表された【異世界】段階の非現実・非人間性を徹底的にツッコミし、知覚ある世界全ては例外なくエゴが作ったインチキだと証明する。
本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と言われる、歪みとしか言いようがない作用を【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。
[引用箇所]
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON132
6-(2~5)
▽以下引用
LESSON132
6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.
△以上引用
【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)
西暦2019年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。
この本物:佐藤篤代の概念記事は
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を大前提に矛盾なく徹底的に追究し、以下の核心概念を元に書いている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。
本物:佐藤篤代は以上のこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。
矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。
『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。
【A・Course・in・Miracles】において「forgiveness(赦し)=知覚ある世界の全てをエゴが作った幻想と見ること」。
【②上記】
ニュースリンク(西暦2014年4月~)
(2019.12.30)
【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。
だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。
『この領域』は【終わらせる為に作用する何か】が『【異世界】間漏れ作用』により、エゴの作る世界の方向を誘導した果てに、世界のやり直しの末にエゴが不承不承否応なしに作らされた『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』。だからこそ、すべてが象徴的に表されている。すべては【知る手段】に過ぎないから。
小説『黒い巨塔 最高裁判所』より引用
『須田は、余裕をもって笹原の言葉をかわすと、その時彼の頭にあったらしい司法と権力の関係というテーマについて、ちょうどよい聴き手が現れたといわんばかりの口調で、勢い込んで語り始めた。笹原は、ともすればうつろになる頭脳を何とか奮い立たせて、須田の言葉に耳を澄ました。
「戦後、新憲法の下で三権分立が制度上も確固としたものになり、また、違憲立法審査権が与えられたことによって、司法は、権力の一部をになうようにもなった。すなわち、戦後の裁判所は、権力の一翼をになうものとして、政治の一環に組み込まれた。わしは、そう考えている」
「……失礼ながら、どうもよく理解できないのですが、今のお言葉からすると、長官は、司法と行政に本質的な相違はないとお考えなのでしょうか?」
「少なくとも戦後はそうだ。違憲立法審査権を得たことによって、裁判も政治の一部になったのだ」
「お言葉ですが、そのお考えには承服できかねます。司法は、三権の一つとして立法、行政をチェックすべきものです。憲法の番人という言葉の意味もそこにあると思います。司法が行政とその本質において同じだという考え方は、司法の権力チェック機能を見失わせるものではないでしょうか?」
「しかし、司法にも、行政同様のバランス感覚は必要だ。若造の君にも、それくらいのことはわかるだろう?」
須田は、笹原が、みずからの意見を求められたわけではないにもかかわらず強い言葉でそれを述べ、須田の意見に反論したことに驚いたようだったが、協議会の件について笹原の追及を軽くかわしたあとでもあるので、笹原をぎろりと一瞥して短く応答しただけで、みずからの感情は何とか抑えていた。
笹原は、須田のそのような言葉と態度にわずかな気後れを感じたが、自暴自棄の構えで突っ走ってしまいたいという衝動のほうが、それよりもずっと大きかった。
「バランス感覚が必要だということまでは、否定いたしません。司法は基本的に謙抑的であるべきだという意見にも、正しい部分はあるでしょう。しかし、司法には、これは動かしてはならない、ここは譲ってはならないというプリンシプル、原理、原則もまた必要です。人権に関わる事柄はその典型です。そうした事柄について司法が行政と同様の機会主義的な『政治』を行うとしたら、行政のほかに司法を置くことに、何の意味があるのでしょうか?」
「君の言うことには、理屈としては正しい部分があるだろう。だが、日本の裁判官に、そんな立派な司法をになう気概があるのだろうか?わしは、深く疑うね」
「そうですね……。確かに、日本の裁判官には、昔から、ここぞというところできちんと踏みとどまって司法の役割を全うする気概が、足りないように思います。でも、たとえば、戦後、一九六0年代までの裁判所には、そういう部分もかなりあったのではないでしょうか?
たとえば、多数の公安事件や大規模な疑獄事件で、政治や世論に迎合することなく無罪判決を出したという例がありますし、行政訴訟も、その時期のほうが、しっかりした、見識のある判断をしていたのではないかと思います」
「君は、司法がだんだん悪くなっているとでも言いたいのかね、え?」
須田は、もはや、若輩に接するときの余裕のある態度をかなぐり捨てて、上体を起こし、笹原を本気で言い負かそうとしていた。
「そういう面もあるかとは存じますが……」』
『「先ほどの裁判官協議会の話に戻らせて頂きますと、協議会が現場の裁判官の背中をいい方向に押したのは、後にも先にも公害の場合ただ一度だけではないかという考え方が、弁護士の間には強いと思います。ある自由主義者の弁護士はこう言っています。『最高裁は、一方では、東法協パージの過程で、裁判官たちの間に育っていた自由主義の芽までことごとく摘んでしまい、一方では、協議会等による統制によって、裁判官たちの創造性の芽を摘んでいる』」
「自由主義の芽までことごとく摘んだだと!誰がそんなことを言ったっ!」
「それは、お答えできかねます」
須田は、激しい怒りに肩で息をしながらも、何とか平静を取り戻し、言葉を続けた。こんな青二才に言い負かされたままに終わってたまるかという思いが、須田の激怒の決定的な発露を抑えていた。
「『ある自由主義者の弁護士』とは誰だね?それは、実は、君の意見なのではないかね?」
「御想像にお任せいたします。私も、共感するところはあります」
「……君の自由主義者としての反感には、わしも、理解できる部分がないではない。しかし、君にはわかっておらん、全くわかっておらん!日本の裁判所の基盤が、このように立派な最高裁の建物ができた今でも、なお、本当は、きわめて弱いのだということが!
日本の裁判所の基盤は、まだ、非常に脆弱なものなのだ!だから、その基盤を確固としたものにするためには、政治の、また、立法や行政の動向を慎重に見据えながら、中道をゆく必要があるのだ!」
「ヒットラーも、同じようなことを言っています」
「ヒットラーが、そんなことを言ったのか……?」
「現実のヒットラーではありません。三島由紀夫の戯曲の中のヒットラーです。鉄鋼王クルップが、ヒットラーに対して、『アドルフ、よくやったよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ』と呼びかけます。すると、ヒットラーが、舞台中央へ進み出て、『そうです、政治は中道を行かなければなりません』と答え、終幕が閉じられます」
「ふん、そうなのか?……三島という男は、ただの文学馬鹿ではないらしいな?」
「東大法学部を優秀な成績で卒業して、九ヶ月間は大蔵省にいましたからね。長官のお言葉をお借りすれば、えらくなりたいという気持ちも、多少はあった人かもしれません」
「それで、君は、わしがヒットラーに似ているとでも、言いたいのかね?」
「そこまでは申しません。ただ、長官のおっしゃる中道というのは、権力、政治、世論の力関係をみながら適宜それに合わせて調整を図ってゆくというやり方だと思いますが、そういう機会主義的な行き方は、はたして、司法にふさわしいものなのでしょうか?司法は、法の支配、三権分立、国民主権という観点から、国家のあり方を正し、それに確固としたプリンシプル、行動原則を提供すべきものではないでしょうか?たとえば、そういうことを申し上げたいだけです。まさに、釈迦に説法ではありますが……」
「言葉をつつしみたまえ、笹原君」
「申し訳ございません」
「君の言うことは、一から十まで、すべて理想論だ。そういう理想論で日本の社会が動くなら、大変結構なことだがな。だが……」
「だって、司法が理想論を吐かなくてどうするんですか?司法の役割というのは、痩せても枯れても理想論を吐き、筋を通すことにあるのではないでしょうか?司法が立法や行政と一緒になって『政治』をやっていたら、法の支配だって、正義だって、公正だって、およそありえないと思いますが」』
小説『黒い巨塔 最高裁判所』より引用
前日も言ったが、『これは、この世界の出来事ではない。あるパラレルワールドの物語である。』とこの小説『黒い巨塔 最高裁判所』冒頭に書いてある。
今回引用のこの部分は、笹原のここの箇所の言い分が、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性に即した基本的司法概念なので提示することにした。馴染み深い概念。なつかしい概念。何故なら、義務教育の社会の教科書や、高校では歴史やその他の社会科系統の教科書に書いてあるような戦後の日本の司法概念だからだ。勉強して暗記して、テストに出た内容みたいに、当たり前な基本的な司法概念だ。
だから、須田長官やその他の上層部がかなり異常にしか見えないわけだ。腐敗を、不正を堂々とやり尽くそうとしていて、それを正当化しようと躍起になっている。安倍晋三首相と政権と同じ、堂々と腐敗と不正の限りを尽くさんと死に物狂いにしか見えない狂気状態。
まあ、司法はかなり前に腐敗が大問題となり、相当な大規模な改革が行われたわけだが。確か冤罪事件だったかな。一時期、司法の根幹を揺るがす大問題が生じ、それで国民が裁判に参加する、あの新制度が加えられた。確か、約10年前位から(現在西暦2019年)施行されたレベルに最近だと思うが。
だから、司法が健全だなんて、日本国民で普通以上の知能と思考能力の主なら誰も信じていない。腐敗のイメージがまだまだ強すぎて強すぎて。警察も、政治も、病院も(『白い巨塔』のイメージが強すぎ)…あらゆる権威の機関すべてが、もはや完全に腐敗がバレバレになってきていて、健全な機関や組織があり得るだなんて、この領域の現実性の観点からすれば、誰も信じていない。
キリスト教の教会だって、歴史的に『聖戦』と称して神を大義名分にしてずいぶん残虐非道の限りを尽くしてきた。権威が腐敗し尽くす象徴のように、歴史的流れからキリスト教の教会が『健全』な組織だなんて誰も信じていない。
仏教だってそう。日本だけで言っても、歴史的に戦の関係性は酷かったし、『生臭坊主』と言われる位に酒池肉林を尽くす権威の暴走を限りなく表現してきた。仏教の腐敗は本当に醜悪だ。神道も勿論。神社や寺なんか、歴史的に腐敗の象徴でしかなかった。誰も健全だなんてイメージは持てない位に。
『権力は必ず腐敗する』とかジョージ・オーウェルが言っているようにね。
腐敗しない権力なんかないのさ。
そして、腐敗しない組織も存在しない。
何故だか、エゴなら解るよね?
だって、この領域から漏れたすべての権威ある組織やその他すべてを歪めて、エゴ自体があらゆる権力を使い、あらゆる組織を使い、その健全な機能すべてを破壊してきたんだから。
すべては、不都合存在を排除するために。
その為だけに、権力も組織もそのトップや上層部やすべての人員も、エゴはその意図を込めて作ってきたのだから。
その代表格が、二大フィクション大魔王安倍晋三首相とトランプ大統領だろ?
だから、不都合存在排除のために、あらゆる権力、組織、そして人員に凄まじい狂気が込められてしまった。
その痕跡が今、凄まじい狂気レベルでこの領域に表現され尽くされている。
『不都合存在排除』ーー要するに、エゴは『不都合存在排除の正当化』を目指して世界のやり直しを延々としてきたわけだ。使えるコマ、手段すべてを不都合存在排除の為に作ってきた。その為に一番動かしやすい、権力と組織をエゴの思い通りに作ろうとするのは当たり前だ。だから、何にせよトップや上層部、要するに権力があるすべて、『他者に影響力があるすべて』はエゴ意図を一番込められやすい為に、一番狂気化しやすいという実態がまざまざとこの領域に表現されている。現在、そして歴史的過程でね。
エゴは要するに、『影響力がある手段』に固執してしまうわけだ。だから、『聖人』と呼ばれるすべては、狂気感染事態に陥る。支離滅裂言動になりやすく、『聖人の仮面を被った悪魔』みたいな正体が発覚してしまったりする。イエス・キリストの言葉として伝えられている種類が一貫性がなく支離滅裂に見えて、残酷なことを言っているような部分があるのは、そのせいだよ。
『聖人』はエゴの特別性の欺きの手段として願ったり叶ったりの偶像崇拝の手段だから、【終わらせる為に作用する何か】は、エゴが各世界制作段階で作ってきた要素を全部表現させて、相剋させるわけだ。それで、この領域では一貫性が全くない支離滅裂な異常性となり、本当に心を傾倒できないようにされる。この領域の現実性の中では、イエス・キリストなんてめちゃくちゃ過ぎて意味不明でしかないフィクション的な存在だ。
というわけで、『影響力がある手段』を使ったエゴ意図すべてを崩壊させる為に【終わらせる為に作用する何か】は、エゴが前々に『やっちまった(正反対のことをエゴは最初にやってしまう。例えばあからさまな殺戮の勧め思想とか)』すべてもこの領域に表現させて、相剋させて、その特別性の意図を壊滅的にさせる。取り繕いが完全に不可能な位に。
だから、すべての『影響力がある手段』は、権力者にせよ、組織にせよ、影響力がある人物にせよ、この領域段階ではもはやイメージがガタガタに崩壊しきっている状態にされている。
故に、すべての『影響力がある手段』が力を持つことはあり得ない。もう終わりすぎたエゴ意図手段と成り果てている。
だから、エゴが最高裁の権威にエゴ意図を込めて貫き通すなんて、この領域段階で現実性の中ではできるわけがない事態に陥り過ぎている。
安倍晋三首相と政権がやり尽くしているすべては、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性の中では、絶対に許容されないから、確実に、現実性の観点の中にあれば、最初から終わっている。2回目総理大臣自体がまず不可能だった。現実性の中では、安倍晋三2回目総理大臣は成立不可能だったわけだ。
だから、安倍晋三首相と政権は、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性が帰還した時点で完全に終わる。
そして、『影響力がある手段』でエゴがやりたいことは、『不都合存在排除』。
『不都合存在排除』とは、要するに『犯罪の正当化』をやりたいということになる。だからこそ、エゴが用いて作ってきた『影響力がある手段』は、必ず『犯罪』と成り果ててしまう。
エゴは何とかして『不都合存在』を排除したい。だから、事実を歪める。『不都合存在』を『悪』と仕立て上げる為にでっち上げとなり、冤罪となる。
『不都合存在』を『悪』に仕立て上げること自体が、この領域の現実性の中では『犯罪』だ。必ず【終わらせる為に作用する何か】は、『不都合存在排除』を正当化させない。だから、『不都合存在』を『悪』に仕立て上げられない。
だからこそ、【真相】は必ず発覚させられる。
エゴが排除したい『不都合存在』の【無辜(罪のないこと)】が証明される。
それが、『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』である『この領域』だ。
そして、『不都合存在』の排除を正当化させるためのエゴの死力を尽くしてきた手段は、【『人権』を奪うこと】だった。
その為に、安倍晋三首相と政権で改憲を死に物狂いで目指し、人権を保障する『日本国憲法』を破壊しようとしてきた。
その為に、政治(行政・立法)の健全さを破壊し尽くしてきた。
その為に、警察の健全さを破壊し尽くしてきた。
その為に、裁判所(司法)の健全さを破壊し尽くしてきた。
すべての『影響力がある手段』の健全さを破壊し尽くしてきた。
『政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告であるーー中曽根康弘(元首相・西暦2019年死去)』
そう今日の新聞に書いてあった通りにね。
完全に自白だろ。
最もエゴの『影響力がある手段』である政治家は、最もエゴ意図が込められる対象。故に、『犯罪者』であることは避けられないという自白だ。
より初期段階のエゴは、問答無用の殺戮段階だ。法も秩序も関係ない。暴君が気に入らない者を気に入らないというだけで殺戮した歴史の中の暴君。【自分がルールの王さま】だ。
そんな暴挙は、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性の現代では、『犯罪』だ。
より初期段階のエゴ意図が込められた『影響力がある手段』は、めちゃくちゃな極悪人であり殺人鬼レベルの狂気しか表せない。
そのより初期段階のエゴ意図が込められ過ぎたのが安倍晋三首相だ。
だからこそ、今後、『桜を見る会』政治資金規正法違反や公職選挙法違反なんていうレベルの犯罪じゃない凶悪犯罪の太古の痕跡が発覚するようになるだろうと予測しているわけだ。
『この領域』は、『エゴの欺きのすべてを露呈させる真相暴露ルート』だからね。エゴがやったすべての真相が発覚されることになる。
だからね、エゴ。いくら最高裁をエゴ意図で汚染させて世界を作っても、無駄だと思い知らされる。
問題の根本はそのレベルにはない。
いくらやっても【偽物世界(異世界)】だと発覚するのみ。
第一、前日言ったように、最高裁が『魔法信仰』に成り果てて、人間の現実性が欠落しきった、世界基盤概念欠落事態が発覚した【偽物世界(異世界)】の痕跡が出てきただろ?『絶対に壊れないモノ』って、【世界の理】を根本的に全否定してしまうような、人間じゃなさ。そんな全否定レベルは、人間じゃない化け物にしかなれない。
そもそも、最高裁の判決なんか問題なんかじゃないんだよ。それ以前の基盤概念欠落が大問題となり、人間じゃない化け物にしかなれないんだから。そんなレベルの話で、何が判決だ?人間じゃない化け物の判決は現実性じゃないだろ。現実性なんか一切主張できないだろ。
それは、この領域の世界基盤・土台に基づかれた世界構造と概念の現実性の観点の判決じゃないと判断されるのみ。そんな最高裁なんか、非現実証明にしかなれない。
だからね、エゴ。いくら最高裁だとか権威あるすべてをエゴ意図通りに作ろうとしても、単に発覚されるのは、『人間の現実性欠落』と『世界の非現実性』だけなんだよ。
エゴがどの段階で何を作ろうが【知覚ある世界すべてはエゴが作った非現実インチキ】だと最終的に証明される。
それこそが、【終わらせる為に作用する何か】の【最後の審判】だ。
そして、エゴにとっての『不都合存在』すべてが、あらゆるエゴの排除手段(冤罪も含め)を、決して正当化されなかったという最終的結果が【最後の審判】だ。
エゴが排除したい『不都合存在』の完璧な【無辜(罪のないこと)】が証明され、すべての排除手段は不当だと証明される。
書籍『神の使者』から引用
『だが「コース」が次のような偉大な言葉で表しているように、聖霊を上級審だと考えてごらん。
《ーーあなたがたは上級審判に糾弾されると恐れる必要はない。上級審はただ、あなたに対する起訴を却下するだろう。神の子が起訴されることはあり得ず、神の創造において有罪の証言をする者はすべて神自身に偽証を行う。あなたがたの信じるすべてを喜んで神自身の上級審で訴えなさい。その訴えは「彼」のためであり、したがって真実を語っているから。訴えがどれほど慎重に積み上げられても上級審はあなたに対する起訴を却下するだろう。起訴事案は愚か者でも失敗し得ないほど絶対確実(fool-proof)かもしれないが、神を騙す(god-proof)ことはできない。聖霊は耳を傾けないだろう。なぜなら「彼」は真実だけを見届けるから。「彼」の判決はつねに「神の王国はあなたのもの」である。なぜなら「彼」は、ほんとうのあなたがたを思い出させるために、あなたがたに与えられたから。》
きみには明らかに「自分の人生」という現実がある、とエゴは思い込ませようとする。だが聖霊の姿勢は次の言葉に要約される。
「それは決して起こらなかった」
そこに世界があり、それはきみの人生が始まる前にも存在したし、きみの身体が死んだあとにも存在する、ときみが信じ続けるなら、エゴにとってこんなに嬉しいことはない。聖霊の答えは、きみのエゴにとってどれほど突拍子もないと思われようと、「ワークブック」にあるとおりだ。
《ー世界はない!
これが「コース」が教えようとする中心的な考え方だ。
誰もがこの教えを受け入れられるとは限らないし、一人一人が真実の道をできるだけ遠くまで導かれる必要がある。彼は引き返し、さらに遠くまで行くだろう。あるいはしばらく後退し、また戻るかもしれない。
だが、世界はないことを学ぶ用意があり、いまこのレッスンを受け入れられる者には癒しが贈り物として与えられる。その用意があればレッスンは理解でき、認識できるかたちで与えられるだろう。》』
書籍『神の使者』から引用(以前も引用)
原書:The Disappearance of the Universe
ゲイリー・R・レナード著
吉田利子訳
(《》の部分は【A・Course・in・Miracles】からの引用部分。「コース」とは【A・Course・in・Miracles】)
原書から引用したかったが、散々探したがまだ見つからないから、今はまだその時じゃないんだろう。
【A・Course・in・Miracles】にも『神の使者』にも歪みがあるという前提で引用。
『魔法は いつか解けると 僕らは知ってる』
歌『RAIN/SEKAI NO OWARI』より引用
(何度も引用)
佐藤篤代
概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(99)
【A Course in Miracles】
最後の審判
西暦2019年12月30日:月曜日
西暦2019年
(年号:
【佐藤篤代について】
[blogで言ってる主旨]
この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。
敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。
本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。
この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。
[佐藤篤代]
【A・Course・in・Miracles】管理者で世界で最も【A・Course・in・Miracles】の意味を理解している筈のKenneth・Wapkickすらも、手紙のやり取り等から、歪みと特別性の保護しか教えていなかったと西暦2012年に判明している。
また【A・Course・in・Miracles】自体も本という型だけに完全な真実を表現できる筈がないとその頃までには気づいた。
その他の経験も含め、真実は他者とは絶対に分かち合えないと理解した。
だからこそ、特別性の保護というエゴの目的しかそこにはなく、無駄どころかエゴの目的通りになると知っているので、あらゆる個々の存在と真実を分かち合うという目的からコミュニケーションを取ることは一切しない。
真実はあらゆる個々の存在と分かち合うのではなく、真実(知ってきた全て)を提示することで、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の【異世界】間の『漏れ作用』により、エゴが作った全ての領域に拡大されると考えている。
エゴはそれで世界に矛盾が生じるので、漏れて隠せない要素を採り入れながら世界を作り直さなくてはならない。それが真実が拡大される再利用システムだと考える。
詳しくは西暦2015年段階の概念に書いてある。
故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。
本物は将来性のないニート
(西暦2019年)
佐藤篤代は西暦2019年1月17日(木曜日)で43才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し
佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html
A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html
佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23
ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
【リブログ】は機能開始時から禁止しており、元から出来ないように設定してあります。これは似たようなあらゆる機能によるシェアを禁じるという意味です。
【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html
【例外なく皆このブログから立ち去って下さい。誰とも関わりません:佐藤篤代】
4月30日:火曜日まで平成31年
5月1日:水曜日から令和1年〈元年〉)
亥年現在【佐藤篤代について】
[blogで言ってる主旨]
この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。
敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。
本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。
この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。
[佐藤篤代]
【A・Course・in・Miracles】管理者で世界で最も【A・Course・in・Miracles】の意味を理解している筈のKenneth・Wapkickすらも、手紙のやり取り等から、歪みと特別性の保護しか教えていなかったと西暦2012年に判明している。
また【A・Course・in・Miracles】自体も本という型だけに完全な真実を表現できる筈がないとその頃までには気づいた。
その他の経験も含め、真実は他者とは絶対に分かち合えないと理解した。
だからこそ、特別性の保護というエゴの目的しかそこにはなく、無駄どころかエゴの目的通りになると知っているので、あらゆる個々の存在と真実を分かち合うという目的からコミュニケーションを取ることは一切しない。
真実はあらゆる個々の存在と分かち合うのではなく、真実(知ってきた全て)を提示することで、エゴとは正反対の作用【終わらせる為に作用する何か】の【異世界】間の『漏れ作用』により、エゴが作った全ての領域に拡大されると考えている。
エゴはそれで世界に矛盾が生じるので、漏れて隠せない要素を採り入れながら世界を作り直さなくてはならない。それが真実が拡大される再利用システムだと考える。
詳しくは西暦2015年段階の概念に書いてある。
故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。
本物は将来性のないニート
(西暦2019年)
佐藤篤代は西暦2019年1月17日(木曜日)で43才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し
西暦2019年段階の概念:佐藤篤代
西暦2019年段階【前半】概念:佐藤篤代
西暦2019年段階【後半】概念:佐藤篤代
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html
A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html
人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代
無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年
【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン
人間の現実性の中での基本的情報提示:リンク/佐藤篤代
西暦2019年版佐藤篤代のリンク集
西暦2019年版佐藤篤代のプロフィール
佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23
ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】
メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。例外は一切ありません。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
【リブログ】は機能開始時から禁止しており、元から出来ないように設定してあります。これは似たようなあらゆる機能によるシェアを禁じるという意味です。
【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html
【例外なく皆このブログから立ち去って下さい。誰とも関わりません:佐藤篤代】
https://ameblo.jp/universalacim/entry-12306413127.html
佐藤篤代
概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(99)
【A Course in Miracles】
最後の審判
西暦2019年12月30日:月曜日
【このブログにあらゆる手段で関わろうとする方々へ】
佐藤篤代
概念:佐藤篤代/西暦2019年後半(99)
【A Course in Miracles】
最後の審判
西暦2019年12月30日:月曜日
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