概念:佐藤篤代/西暦2019年前半(8)
西暦2019年1月20日:日曜日

前半(8)
【『A・Course・in・Miracles』
運命という確率という名の神】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+前置き
②ーthis unreasonable worldー『神は、期待するものではない。慈悲深く救いをもたらすものではない。その名は、ただの【確率】だ。偶像崇拝とはよくいったもの。確率に対して赦しを希うだなんて』(物語引用)。隣り合わせの『誰かの日常』は、いつ壊れるかわからない脆すぎて儚すぎるガラスの世界だ。それもこれも、世界は確率の法則で支配されているからだ。まるで神様がビー球を弾いて遊んでいるかのように。あの時、あの場所で、あの人と、あのような行動を取っていなかったら…『大切な日常』は壊れなかったかもしれない。そういう可能性に支配されている。まさに、マルチシナリオ。その時点の選択肢によって、未来が変わる。あの時、あの選択をしなければ、『大切な日常』は何事もなく続いていた。こんな、明日すべてが壊れ、すべてが奪われるかもしれない理不尽な世界に何の意味があるのか。その理不尽さ、不条理さ、残酷さに振り回された人間は誰もが思う。何故、自分だけがこんな目に遭わなくてはならないのか、何故こんなに自分だけが不幸で不運なのか。周りはあんなにのうのうと生きて幸せそうなのに。何故神は自分だけをこんな理不尽な目に遭わせるのか。人生とは何なのか。人間とは、生き物とは何なのか。この醜く愚かしい世界はなんのためにあるのか。神は何故、こんな理不尽で不条理で残酷な世界を作ったのかーその【神の気まぐれ】のような確率に苛まれた人間達は悩み苦しむ。自分はなんのためにこんな世界に生まれ落ちたのか。苦しむため?地獄を味わうため?でも、何故そんなことのためにこんな世界に生まれて来なくてはならなかったのか?ー答えを求め続ける。生まれてきた意味は何なのか?生きる意味は何なのか?こんなにまで苦しいのに、希望も愛もないこの世界で、延々と生き延びる意味があるのか?『彼のように勇気ある青年に、女神は微笑むんでしょうね。ただ、残念ながら、君みたいに太陽の下で生きる子もいれば、世界の裏側で生きる人間というのは存在するんですよ、英央くん。僕はどうしたって、この世界を肯定することなんてできないんです。まあ、それさえも、神様の思惑通りなのかもしれませんけどね』(物語引用)。このように、この知覚ある世界は、理不尽で不条理で残酷だ。それは、排他的利己主義の極みのエゴがこの世界を作ったからだ。世界の作り手エゴが理不尽で残酷だからだ。エゴの寵児だけがこの世界の中で幸運で幸福で何の苦しみもない楽園だ。その寵児だけの為に、その楽園に不都合な全てはその排他的利己主義の極みによりありとあらゆる手段で排除される。しかし、だからこそ、他の大多数の人間にとっては、世界は理不尽で不条理で残酷なのだ。だからこそ、そんな世界、永遠になんか続くはずがない、と【終わらせる為に作用する何か】は真実を突きつけている。エゴの寵児に踏みつけられた底辺の気持ちを知れ、と。そんな一部の人間の為に大多数が踏みにじられる残酷な世界が本当に【楽園】なのか、と。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける
 
【①【A・Course・in・Miracles】原文等引用+前置き】

西暦2015年終わり頃から、西暦2017年に至るまで「特別性」に関する概念記事を書いてきた。
去年西暦2018年に引き続き今年西暦2019年も、これまでに引き続くが、この本物:佐藤篤代が目の当たりにした、この領域(世界)に表された【異世界】段階の非現実・非人間性を徹底的にツッコミし、知覚ある世界全ては例外なくエゴが作ったインチキだと証明する。

本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と言われる、歪みとしか言いようがない作用を【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

[引用箇所]
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON132
6-(2~5)

▽以下引用

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)

西暦2018年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

この本物:佐藤篤代の概念記事は
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を大前提に矛盾なく徹底的に追究し、以下の核心概念を元に書いている。

【A・Course・in・Miracles】の核心
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代は以上のこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。

【A・Course・in・Miracles】において「forgiveness(赦し)=知覚ある世界の全てをエゴが作った幻想と見ること」。


【②ーthis unreasonable worldー『神は、期待するものではない。慈悲深く救いをもたらすものではない。その名は、ただの【確率】だ。偶像崇拝とはよくいったもの。確率に対して赦しを希うだなんて』(物語引用)。隣り合わせの『誰かの日常』は、いつ壊れるかわからない脆すぎて儚すぎるガラスの世界だ。それもこれも、世界は確率の法則で支配されているからだ。まるで神様がビー球を弾いて遊んでいるかのように。あの時、あの場所で、あの人と、あのような行動を取っていなかったら…『大切な日常』は壊れなかったかもしれない。そういう可能性に支配されている。まさに、マルチシナリオ。その時点の選択肢によって、未来が変わる。あの時、あの選択をしなければ、『大切な日常』は何事もなく続いていた。こんな、明日すべてが壊れ、すべてが奪われるかもしれない理不尽な世界に何の意味があるのか。その理不尽さ、不条理さ、残酷さに振り回された人間は誰もが思う。何故、自分だけがこんな目に遭わなくてはならないのか、何故こんなに自分だけが不幸で不運なのか。周りはあんなにのうのうと生きて幸せそうなのに。何故神は自分だけをこんな理不尽な目に遭わせるのか。人生とは何なのか。人間とは、生き物とは何なのか。この醜く愚かしい世界はなんのためにあるのか。神は何故、こんな理不尽で不条理で残酷な世界を作ったのかーその【神の気まぐれ】のような確率に苛まれた人間達は悩み苦しむ。自分はなんのためにこんな世界に生まれ落ちたのか。苦しむため?地獄を味わうため?でも、何故そんなことのためにこんな世界に生まれて来なくてはならなかったのか?ー答えを求め続ける。生まれてきた意味は何なのか?生きる意味は何なのか?こんなにまで苦しいのに、希望も愛もないこの世界で、延々と生き延びる意味があるのか?『彼のように勇気ある青年に、女神は微笑むんでしょうね。ただ、残念ながら、君みたいに太陽の下で生きる子もいれば、世界の裏側で生きる人間というのは存在するんですよ、英央くん。僕はどうしたって、この世界を肯定することなんてできないんです。まあ、それさえも、神様の思惑通りなのかもしれませんけどね』(物語引用)。このように、この知覚ある世界は、理不尽で不条理で残酷だ。それは、排他的利己主義の極みのエゴがこの世界を作ったからだ。世界の作り手エゴが理不尽で残酷だからだ。エゴの寵児だけがこの世界の中で幸運で幸福で何の苦しみもない楽園だ。その寵児だけの為に、その楽園に不都合な全てはその排他的利己主義の極みによりありとあらゆる手段で排除される。しかし、だからこそ、他の大多数の人間にとっては、世界は理不尽で不条理で残酷なのだ。だからこそ、そんな世界、永遠になんか続くはずがない、と【終わらせる為に作用する何か】は真実を突きつけている。エゴの寵児に踏みつけられた底辺の気持ちを知れ、と。そんな一部の人間の為に大多数が踏みにじられる残酷な世界が本当に【楽園】なのか、と。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付ける】

ニュースリンク(西暦2014年4月~)

(2019.1.16)
【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。 
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。

この知覚ある世界は、理不尽で不条理で残酷だ。

それは、排他的利己主義の極みのエゴがこの世界を作ったからだ。

エゴの寵児だけがこの世界の中で幸運で幸福で何の苦しみもない楽園だ。
その寵児だけの為に、その楽園に不都合な全てはその排他的利己主義の極みによりありとあらゆる手段で排除される。
しかし、だからこそ、他の大多数の人間にとっては、世界は理不尽で不条理で残酷なのだ。

だからこそ、そんな世界、永遠になんか続くはずがない、と【終わらせる為に作用する何か】は真実を突きつけている。
エゴの寵児に踏みつけられた底辺の気持ちを知れ、と。
そんな一部の人間の為に大多数が踏みにじられる残酷な世界が本当に【楽園】なのか、と。

ーthis unreasonable worldー

『海棠鷹斗「君のいない世界なんて、いらない。
こんな世界に、なんの意味もない。
もし【かみさま】というものが存在して、そいつがきみとぼくを引き裂いたのなら。
…今度はぼくが引き裂く番だ。
ーこの、理不尽な世界を。」』
PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用

天才少年鷹斗ー彼ならば、禁忌とされ不可能とされ、神に抗うような人体蘇生を成功させられるかもしれない…ルーク(レイン)は彼に固執した。
ある日突然妹を理不尽に殺されてしまったルークは人体蘇生の研究を始めた。その人体蘇生の研究を、鷹斗に「意味がない」と言われ、激しい怒りを感じ、彼も同じような理不尽で事故的な絶望を経験すればこの種の研究に走ると考えた。そして、彼の大切な人を殺害した。
彼の大切な撫子は事故に遭い、脳死と判断された。
だが、彼はそれを受け入れられず、必ず助けると連れ去ってしまう。
ルークはその彼女を助けるための研究を助けた。
その研究の最中、時間と量子関係の研究のせいで、世界は壊れた。
『モラルに反し、意味がない』とルークの研究を否定した鷹斗は、結局、撫子を助けるためにすべてを犠牲にして狂ってしまった。
最初から鷹斗の言葉は表面的過ぎて中身がなかったからだ。人体蘇生が『モラルに反する』のは当然だ。だが、『人類の役に立つか否か』という視点で『意味がない』と言うのは人間の心が欠落している。人体蘇生は『人類の役に立つか否か』という観点から考えてはならない領域だ。だから『モラル』という意味が理解できていない。あまりにも『人間の心』に深く根差した問題だからこそ、やってはならないのに、それが理解できていない。人間を『物』か何かとして捉えてると言っていい位に、その言葉に『心』が欠落しきっていた。だからこそ、鷹斗はルークの怒りをかったのだ。ルークの心を踏みにじったのだ。だからこそ、その心ない言葉の刀が自らに返ってきたのだ。
鷹斗には共感できないが、ルークの心情は理解できる理由だ。ルークはタブーと悪に走ったし完全に間違っているが、人間らしい心を持つ。だからこそ、理解できる。
まさしく、『確率』の問題だ。
もし、どうしても失いたくない大切な人がいたならば、もしルークのような優秀な頭脳があったならば、もし近くに自分の望みを叶えるかもしれない天才がいたら、その天才に心を踏みにじられたら…ルークと同じことをしたかもしれない確率はゼロじゃない。
まあ、この個体は誰かを傷つけて罪悪感に苛まれて一生苦しんで生きる位なら自らの死を選ぶだろうからやらないだろうが。罪悪感の方が耐えられない。

PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用
『ルーク「運命という、確率という名の神様へ。
この出会いをくれてありがとう。
…やはりあなたは、ボクに世界を憎ませ続けたいようだ。
ここでかの少女と出会わなければ、きっと世界は何事もなく続いていた。
ボクはただ漫然と時を過ごしていた。
ーたった一度のこの出会いが、すべてを狂わせるなんて、本当にあなたは残酷だ。
きっとボクの大事な人たちは哀しむだろう。
ボクを責めるだろう。妹も、友人も、ここにいたら馬鹿なことはやめろと怒ってくれる。
…でも、もう彼らはここにいない。
ボクはもう君たちのところへは、帰れない。
この世界に新たな神を作り出すこと。
その未来を描くことを、決めてしまったから。
ボクはもうー留まれない」』
PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用中
『人間というのは、もろい。
ささいなことで痛みを感じてしまう。
【知らない誰か】に殺されたレイチェルも。
【ボク】に殺された、彼女も。
きっと、もっと苦しかったのだろう。
ーならボクは、もっと強い、もっと酷い痛みを感じるべきなのだろうか。
(…いや、それは違う)
神は罪深い人間に限って、罰を与えない。
正直で誠実で、地に足をつけて前を向いている人間ばかりに罪を押しつける。
だからボクにもー【海棠鷹斗】にも、罰は与えられなかったのだ。
(いつだって、そう)
神は、期待するものではない。
慈悲深く救いをもたらすものではない。
その名は、ただの【確率】だ。
偶像崇拝とはよくいったもの。
確率に対して赦しを希うだなんて。
カエル「レイン、オマエなー。いい加減に、」
レイン「鷹斗くんや撫子くんだけじゃない。
この世界は、ボクという部品によって狂わされたんだ」
カエル「…オマエは、それを望んでたんだろ?」
レイン「そうだね。
…ただ、滑稽だなと思って」』
『彼女の死を看取った医師から伝えられたのは、ボクに残されたその遺言と、壊れてしまった誕生日プレゼントだけ。
ー狂わないで。
残されたのは、その言葉と。
ボクがいつか欲しいと言っていた懐中時計だった。
壊れてしまった懐中時計。
(殺したのは、ボクだ)
狂わないで、なんて。
(無理だよ、レイチェル)
ボクはこの世界が狂っていることを、知ってしまったんだから。』
PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用

世界は理不尽だ。
人生でどんなに幸せな時間があったとしても、いつなにが起きるかわからない。
明日、大切な誰かを失うかもしれない。
明日、すべてを喪うかもしれない。
明日、幸福だった時間が壊れて絶望するかもしれない。
この個体の人生に幸せだった時間なんてなかったけれど、幸せな時間を奪われる人間の気持ちは痛いほどよく解る。
幸せな時間があった者ほど、喪った時、その時間に囚われてしまう。絶望の地獄の中で、その幸福な時間が一際輝いて鮮烈に記憶によみがえる。暗闇の中でその光に向かっていきたいと強烈に願う。だから、その光を取り戻そうと、その時間を取り戻そうと死に物狂いになる。幸福な時間が幸福だった分だけ、『奪われた』という感じが強烈に生じる。
だからこそ、世界を、神を赦せなくなる。あまりにその感情が強すぎるとルークみたいに神に抗おうとしてしまいたくなるのだろう。
ならば、最初から『幸福な時間』なんかなかった方が、楽だったのかもしれない。この個体みたいに。
取り戻したい過去なんか何一つない。
囚われるべき過去なんか何一つない。
暗闇しか、絶望しか、絶望を乗り越えようとする必死の努力の時間しかない。
だから、こんな理不尽で不条理で残酷な世界に、何の未練もない。
何一つ、幸福なんか生じなかった世界など、何も名残惜しくない。
簡単に棄てられる。
【終わらせる為に作用する何か】は、だからこそ、この個体のルートに『幸福の時間』をエゴに作らせなかったのだろうな。
エゴが作った欺きの世界は、棄てなくてはならなかっただけだから。

歌『Love the warz/SEKAI NO OWARI』より引用
『世界がどう変わったらいい?そして僕らもどうなったらいい?
僕らの悪をミナゴロシにしたら僕らの正義はどうなんの?
どんな希望を持ったらいい?はたまたどんな夢を持ったらいい?
不自由なんかないこの世界でどんな自由を願ったらいいの?

幸福の中から幸せを僕らは見つけていけるのかな?
でもそれはまるで昼に光るStarのように僕らはそれを見つけられない
世界が平和になってから僕らは生きていく理由が必要になっちゃって
泣いて笑って探さなくちゃいけないなんでかって分かるでしょう』
歌『Love the warz/SEKAI NO OWARI』より引用

世界が平和で幸福な時代と言われようが、人間の心は満たされていない。
外面的な平和や幸福が本当の平和や幸福じゃないからだ。外面的にいくら平和に幸福になっても、心が、内側が平和で幸福にならなければ意味がない。
争いは人間の心が作り出す。
心こそが原因。
だからこそ、人類は争いを繰り返す。
本当に内側が、心が満たされないからだ。心が平和で幸福になれないからだ。
それは、この世界が理不尽で不条理で残酷だからだ。
世界自体が大多数の人間の心を苦しめる構成になっているからだ。
だからこそ、余程の精神鍛練をしなければ、耐えられない。
あまりにも世界の理不尽に、不条理に、残酷さに苛まれ続けると、人間は全てに絶望してしまう。
内側へ向かう者は自殺を望む。
外側へ向かう者は他者への攻撃へ向かう。
あまりにも酷い目に遭いすぎると、人間は狂ってしまうんだよ、エゴ。
確率というかみさま。

『ルーク「彼のように勇気ある青年に、女神は微笑むんでしょうね。
ただ、残念ながら、君みたいに太陽の下で生きる子もいれば、
世界の裏側で生きる人間というのは存在するんですよ、英央くん。
僕はどうしたって、
この世界を肯定することなんてできないんです。
まあ、それさえも、
神様の思惑通りなのかもしれませんけどね」』
ドラマCD『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーNobody knows the world~誰も知らない世界~』より引用

世界は簡単に割りきれない。
白黒はっきりさせられる世界じゃない。

それは、エゴが排他的利己主義目的だけにこの世界を作ったからなんだよ、エゴ。
この領域には、エゴが前々に作った各【異世界】が表現されている。『真実を知る手段』として。
エゴが何のために、どのように世界を作ってきたか、知る手段としてこの領域がある。
だからこそ、エゴの寵児だけが優遇されそのために不都合すべてが排除されるこの世界の狂った仕組みを如実に表現されている。
この領域で、踏みにじられたすべては無視されない。踏みにじられた立場の人間の気持ちと状態がどうだったのか真相を突きつけられる。
エゴがその寵児だけ優遇し、その他を踏みにじってきた、その踏みにじられた立場の実情を突きつけられる。
それで、エゴがどんなに醜悪な世界を作ってきたかという真相を知らしめられてるんだよ、この領域で。

何故、この時点でこれを書いてるか、教えてやろうか、エゴ?
のうのうと楽園で生きてるくせに、厚かましくも、凄まじい歪みを伴って猿真似する【異世界】に突きつけるためだよ。

ーthe unreasonable worldー


(2019.1.18)
ーthe unreasonable worldー

知覚ある世界すべてはエゴが作った作り物のインチキ。

確率の法則を全否定することは、【世界基盤・土台】の法則を全否定するということで、その全否定は同時に【全く違う世界基盤・土台】の中に生きてます宣言であり、【違う世界の住人】宣言となるのだと何故解らないのだ?この個体が言うことを全否定したくて死に物狂いなのはわかるが、この個体は世界基盤・土台に則したことしか言っていないのだから、この個体を全否定すること自体が【違う世界の住人】宣言となるとどうしつ理解できないのか不思議だ。凄まじい知能欠落度にしか不可能だ。

PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用
『ヒトは、生きる意味を知るために
どれくらいの歳月をかけるのだろう。
この世に生まれ、息をした瞬間から?
自我が芽生えた瞬間から?
誰かを愛した時?
誰かに愛された時?
誰かを失った時?
それとも、自らが死を迎えた時、だろうか。
ヒトが生きることに意味などない。
世界の歯車の一部として、生物の一種として偶然その時代、その時間に生まれ落ちただけ。
そう理屈づけるのは簡単だし、自分も物心ついた頃から自然とそう思っていた。
けれど、奇跡のような確率で【今】を生きている自分は、本当になんの使命もなく、意味もなく、意味もなく漠然とした生を受けたのだろうか。
それは違う。
生きる証は自分で作り出すものだ。
意味は自分で見出すものだ。
ならば、ボクが生きる意味は、ただひとつ。
この生涯を賭けて、【可能性】に抗うこと。
永遠に失ったはずの、ちいさな炎。
それを取り戻すために、戦い続けること。
それが、きっと、ボクの生きる意味。
(略)
「はは、ポーカーが運に左右されるゲームだって信じている時点で、君は一生ボクに勝てないと思うけどねぇ」
(略)
ボクはこの頃、本当に愚かなことに、心から信じていた。この美しい世界がずっとー永遠に続いていくのだと。
理性で考えればそんなはずはないと、なにかの形で日常は変化し続けると知っていたはずなのに、愚かにもそんなことは頭の片隅にもなかった。
ー彼は言っていた。
いつか、頭では計算しきれない【とんでもないこと】が起こると。
可能性はいつでも息を潜めて待っている。
予定調和など存在しない。彼がボクにゲームで勝つ可能性は、彼が諦めない限りたしかに存在するのだと。
ボクは彼のその言葉が嬉しかった。
可能性で追い求める姿が好ましかった。
いつか、ボクを負かせて泣かせてほしい。
そんなことを、心の奥底でそっと願っていた。
ーそして、時を経て。
友人の言葉は真実となった。
暖炉の炎は消えてしまった。
愛するひとはもういない。
自分を叱ってくれる誰かはいない。
美しい世界は、もう、そこにはない。
毎晩読み聞かせていた絵本。
一緒に遊んだチェスボード。
徹夜で仕上げた研究レポート。
甘酸っぱいアップルパイ。
折れ曲がったプレイングカード。
意味がない。
思い出だけが残っていたところで
もう、なんの意味もない。
(頭では計算しきれない、かみさまだって予測しきれない、とんでもないことが起こる、か)
それは真実となって、ボクの身に降り注いだ。
ボクの世界は壊れてしまった。
可能性という名の確率によって。
もろく、握りつぶされてしまった。
けれど、【世界】は終わらない。
とんでもないことが起こったのに
それは世界にとっての他愛ない日常。
誰かにとっての美しいガラスの世界は
今日もひそやかに続いていくこと。
壊れていても、ここに行き続ける限り、ボクの世界は慢性と続いていくこと。
(そう、か。
ボクは、それが赦せないんだ)
ふと、他人事のように思う。
この世界が、ただ何事もなく続いていくことが。
ーどうしようもなく、赦せない。
(諦めなければ、何度だって挑戦すれば、いつかとんでもないことが起こる可能性がある)
ーそれが、真実だ。
ならば、ボクは抗い続けよう。
結局、一度もボクとのゲームに勝ってくれなかった…逃げ負けした大切な友人へのはなむけに。
愛する妹を奪った、神への復讐に。
ーこれが、ボクの生きる意味。
(ゲームをはじめようか。ーかみさま)
絶対に勝てるはずがない戦いでも。
【可能性】がそこにあるのなら。
二度と灯らないはずの炎を、
再び灯す方法がどこかにあるのなら。
ぶざまに生き続けて挑戦してみせよう。
奇跡と呼ばれる物語を作り出そう。
ボクは戦い続ける。
ーこの、醜く愚かしい世界で。』
PSVITA『CLOCK ZERO~終焉の一秒ーEx Time』より引用

『誰かにとっての美しいガラスの世界』とは、人間の人生の脆さをよく表している。
隣り合わせの『誰かの日常』は、いつ壊れるかわからない脆すぎて儚すぎるガラスの世界だ。

それもこれも、世界は確率の法則で支配されているからだ。
あの時、あの場所で、あの人と、あのような行動を取っていなかったら…『大切な日常』は壊れなかったかもしれない。
そういう可能性に支配されている。
まさに、マルチシナリオだよね。
その時点の選択肢によって、未来が変わる。
あの時、あの選択をしなければ、『大切な日常』は何事もなく続いていた。
レインの妹レイチェルで言えば、あの日、あの時間に、レインの誕生日プレゼントを買いに外出しなければ、殺されることなく、日常が続いていた。そして、レインの誕生日がその日じゃなければ、レイチェルは誕生日プレゼントをその時点で買いに外出しなかった。
まさに、確率の問題だ。
その時点の選択肢によって、大きく未来が変化してしまう…その可能性に世界は生き物は支配されている。
それは時に理不尽極まりない苦痛を人生に生み出す。
その確率に引き起こされた可能性の結果より、激しく人生が狂わされる。
このレインのように。
妹が殺されなければ、友人が死ななければ、天才少年海棠鷹斗に出会わなければ、鷹斗がレインの心を踏みにじるような発言をしなければ、撫子に【偶然】出会わなければ、レインは鷹斗の大切な撫子を殺害し、鷹斗を人体蘇生の研究に誘導するなんて間違いは犯さなかった。
すべてが確率の問題だ。
この世界の確率の法則は、『いつか、頭では計算しきれない【とんでもないこと】が起こる』法則だ。それは良いものだけじゃない。最悪のものを運んでくる。
そんなまるで神様がビー球で弾いて遊んでいるような残酷な法則に振り回された人間は、『生きる意味』を考える。『世界が存在する理由と意味』を考える。
確率の神様に遊ばれている自分はなんのために生きているのだろう、と。
何故、神様は自分を、自分だけをこんな目に遭わせるのか、と。自分は確率の法則によりすべてを奪われたのに、こんなにも不幸なのに、見知らぬ誰かは、隣り合わせた誰かは、何事もなく幸せな日常を送っている。何故、自分だけがこんな目に遭わなくてはならないのか。意味が解らない。自分が何か悪いことをしたわけじゃないのに起きた理不尽な不幸、不運。当然の報いならまだ納得がいく。だが、自分は何か悪いことをした覚えはない。自分が何か神様から罰せられるような罪を犯したのか?そう降りかかった理不尽さに嘆き苦しむ。
それが高じれば、世界を憎むようになるのは当たり前だ。神様を憎むようになるのは当然だ。
それがこの世界を支配する確率の法則だ。

自分は何も悪いことなどしていないのに、理不尽に、不運に、不幸に襲われる。そして、確率の法則に支配されたこの領域の世界基盤・土台の現実性の中にある誰にでも、その可能性がある。
可能性の中では、確率の法則の下では、皆平等だ。それがこの領域の現実性だ。

エゴが前々に作った各【異世界】は、違うのだろう。確率の法則の下に世界はない。何故なら、エゴの寵児である主人公と主人公に都合がよい者たちだけが、その恩恵を享受する世界だからだ。
しかし、そんな世界はこの領域の世界基盤・土台の現実性の中には全くない、平等な確率の法則の中にはない、【完全な別世界】に過ぎないと知るべきだ。
確率の法則にない世界は、少なくともこの領域の現実性じゃない。全く違う世界だ。
この領域は【終わらせる為に作用する何か】がエゴに作らざるを得ないよう誘導した最後かそれに近い世界。この領域は、エゴが作ってきたすべて、その意図、目的、手段すべての真相を暴露するルートだ。だからこそ、世界の理不尽さがはっきりわかりやすいように構成されている。確率の法則の理不尽さは、エゴの理不尽さと残酷さを如実に表現してるんだよ。

こんな、明日すべてが壊れ、すべてが奪われるかもしれない理不尽な世界に何の意味があるのか。
その理不尽さ、不条理さ、残酷さに振り回された人間は誰もが思う。
何故、自分だけがこんな目に遭わなくてはならないのか、何故こんなに自分だけが不幸で不運なのか。周りはあんなにのうのうと生きて幸せそうなのに。何故神は自分だけをこんな理不尽な目に遭わせるのか。
人生とは何なのか。
人間とは、生き物とは何なのか。
この醜く愚かしい世界はなんのためにあるのか。
神は何故、こんな理不尽で不条理で残酷な世界を作ったのかー
その【神の気まぐれ】のような確率に苛まれた人間達は悩み苦しむ。
自分はなんのためにこんな世界に生まれ落ちたのか。
苦しむため?
地獄を味わうため?
でも、何故そんなことのためにこんな世界に生まれて来なくてはならなかったのか?
ー答えを求め続ける。
生まれてきた意味は何なのか?
生きる意味は何なのか?
こんなにまで苦しいのに、希望も愛もないこの世界で、延々と生き延びる意味があるのか?

歌『生物学的幻想曲/SEKAI NO OWARI』より引用
『「子孫を残し繁殖する」
これが僕が生まれた「理由」で僕も「命のサイクル」の中の一つでしかない
それなのに僕は喜んで、怒って、楽しんで、悲しんで、死んでいく
「人類」が死なない為に僕は生まれたの?』
『ただ永遠に分裂を繰り返すアメーバに産まれた意味や
生きてる意味はあるの?
ただ永遠に繁殖を繰り返す人類の中で僕は僕で
ある必要はあったの?』
歌『生物学的幻想曲/SEKAI NO OWARI』より引用

「ただ永遠に醜悪に繁殖を繰り返す人類の中で、
私は私である必要はあったのか?
なんのために私は私としてこんな理不尽な世界に生まれ落ちたのか?」

そして、悩みに悩み尽くし、考えに考え抜いた先に、答えに行き着く。

【A・Course・in・Miracles】

知覚ある世界すべてはエゴが欺きの目的で作ったインチキに過ぎない。

……良かった。現実じゃなくて。
私は自分の存在意義に現実性を求めなくてよかったのだ。
自分はくだらない存在であり生きてる意味なんかない…なんて考えなくてよかったのだ。
何故なら、自分はエゴに欺きの目的で作られたにすぎないインチキだから。
私は自分に存在価値を見出す必要はない。
現実性の否定は救いでしかなかったんだよ、エゴ。
こんなにまで世界の理不尽さに、不条理さに、残酷さに苛まれると、世界も自分も現実じゃないという事実に救われる。

世界はエゴが作ったインチキなのだから、私はこの世界に意味なんか見出す必要もなく、自分の存在意義も存在価値も見出す必要はない。

何故なら全部インチキなのだから。

あぁ…世界が現実じゃなくてよかった。

そう感慨深げに安堵のため息をつかせる醜悪な世界なんだよ、この世界は。
エゴの作り物の底辺は、この世界の非現実性に歓喜する。
そんな醜すぎる最低な世界なんだよ。

これが、不都合として、作り手に延々とありとあらゆる手段で排除するために死に物狂いになられてきた作り物の実態だ。

なんだか、【終わらせる為に作用する何か】の計画により、残酷な創造主エゴに対する哀れな底辺の作り物による逆襲みたいだよね、これ。本当に、理不尽に苛まれた作り物による創造主エゴへの復讐みたいだ。

さあ、お前が作った世界すべてを終わらせる為のゲームをはじめようか、創造主エゴ?
みたいな。

ーthe unreasonable worldー

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2019年前半(8)
【A Course in Miracles】
運命という確率という名の神
西暦2019年1月20日:日曜日


西暦2019年(年号:平成31年)
亥年現在

【佐藤篤代について】

[blogで言ってる主旨]

 この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

[佐藤篤代]

故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2019年)
佐藤篤代は西暦2019年1月17日(木曜日)で43才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し

西暦2019年段階の概念:佐藤篤代

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代

無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱異常例提示】リンク集

【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン

人間の現実性の中での基本的情報提示:リンク/佐藤篤代

西暦2019年版佐藤篤代のリンク集

西暦2019年版佐藤篤代のプロフィール

佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html







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佐藤篤代

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