概念:佐藤篤代/西暦2018年後半(22)
西暦2018年8月23日:木曜日

後半(22)
【『A・Course・in・Miracles』
起きたことはリセット不可能】

①【A・Course・in・Miracles】原文引用+前置き
②『現実はそうそう都合の良い方に書き換わらなかったってことだよ』(小説引用)。これは人が次々に消えていき、記録や所有物、その人が存在してた証も消えていき、残された人々の記憶からも消えてしまい、最終的に世界の終わりへ向かっていく物語だ。ただ、そんなやり方には必ず無理が出る。ポツポツと記憶が残っている人々もいて、主人公はその内の一人だった。世界の現実性は相互関係、相互作用の中にある。だから、存在していた人間の存在を抹消しようが、無理が出てくるのは当然だ。それにより、『代償行為』がなされ、消滅した人がやっていた行為を、別の誰かが補完していく。そんな繰り返しはいずれ破綻する。無理が出すぎて取り繕いのしようがなくなる。存在していた人間の消滅を取り繕うために、その関係性の隙間を完全に埋めるなど不可能なのだ。それが相互関係、相互作用だ。この物語は、エゴの世界のやり直しの取り繕いに無理が出すぎていずれ世界の終わりへ向かうしかない位に限界に陥っていく過程がよく解る表現になっている。因みに、中古の小説だ。この領域より前々の【異世界】段階を表現しているわけだ。エゴはどんどん不都合を隠しきれなくなっていき、不都合消滅を試みても、それらの取り繕いの言い訳は限界へ陥っていくのみだということだ。データ消去みたいに、都合よく完全に消し去るなんて不可能だということだ。【終わらせる為に作用する何か】の『【異世界】間漏れ作用』は、どんどん取り繕いのエゴの世界の作り直しを限界へ陥らせるように、作用するからだ。エゴはどんどん不都合を隠せなくなる。その果てに、『この領域』がある。起きてしまったことはなかったことにはできないんだよ、エゴ。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付けるからだ

【①【A・Course・in・Miracles】原文等引用+前置き】

西暦2015年終わり頃から、去年西暦2017年に至るまで「特別性」に関する概念記事を書いてきた。
今年西暦2018年は、これまでに引き続くが、この本物:佐藤篤代が目の当たりにした、この領域(世界)に表された【異世界】段階の非現実・非人間性を徹底的にツッコミし、知覚ある世界全ては例外なくエゴが作ったインチキだと証明する。

本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と言われる、歪みとしか言いようがない作用を【終わらせる為に作用する何か】と呼んでいる。

[引用箇所]
【A・Course・in・Miracles】原書
second edition
ワークブックLESSON132
6-(2~5)

▽以下引用

LESSON132

6. …There is no world!
This is the central thought the course attempts to teach.
Not everyone is ready to accept it, and each one must go as far as he can let himself be led along the road to truth.
He will return and go still farther, or perhaps step back a while and then return again.

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition:
WORKBOOK FOR STUDENTS
LESSON132
6-(2~5)
(P244)

西暦2018年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

この本物:佐藤篤代の概念記事は
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を大前提に矛盾なく徹底的に追究し、以下の核心概念を元に書いている。

【A・Course・in・Miracles】の核心
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代は以上のこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

『世界は幻想』とは【人間レベル】で言うと仏教的意味合いに近い。

【A・Course・in・Miracles】において「forgiveness(赦し)=知覚ある世界の全てをエゴが作った幻想と見ること」。



【②『現実はそうそう都合の良い方に書き換わらなかったってことだよ』(小説引用)。これは人が次々に消えていき、記録や所有物、その人が存在してた証も消えていき、残された人々の記憶からも消えてしまい、最終的に世界の終わりへ向かっていく物語だ。ただ、そんなやり方には必ず無理が出る。ポツポツと記憶が残っている人々もいて、主人公はその内の一人だった。世界の現実性は相互関係、相互作用の中にある。だから、存在していた人間の存在を抹消しようが、無理が出てくるのは当然だ。それにより、『代償行為』がなされ、消滅した人がやっていた行為を、別の誰かが補完していく。そんな繰り返しはいずれ破綻する。無理が出すぎて取り繕いのしようがなくなる。存在していた人間の消滅を取り繕うために、その関係性の隙間を完全に埋めるなど不可能なのだ。それが相互関係、相互作用だ。この物語は、エゴの世界のやり直しの取り繕いに無理が出すぎていずれ世界の終わりへ向かうしかない位に限界に陥っていく過程がよく解る表現になっている。因みに、中古の小説だ。この領域より前々の【異世界】段階を表現しているわけだ。エゴはどんどん不都合を隠しきれなくなっていき、不都合消滅を試みても、それらの取り繕いの言い訳は限界へ陥っていくのみだということだ。データ消去みたいに、都合よく完全に消し去るなんて不可能だということだ。【終わらせる為に作用する何か】の『【異世界】間漏れ作用』は、どんどん取り繕いのエゴの世界の作り直しを限界へ陥らせるように、作用するからだ。エゴはどんどん不都合を隠せなくなる。その果てに、『この領域』がある。起きてしまったことはなかったことにはできないんだよ、エゴ。【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用は、エゴに最後に作らざるを得ないよう誘導した『この領域』に照らし合わせて、対比思考システムを用いて、エゴのやりたい放題が、世界が現実ならばという観点から、どんなインチキ自白証拠状態をもたらすかを突き付けるからだ】

【狂乱異常例提示】リンク集

(2018.8.20)
昨日、西暦2018年8月18日:土曜日、北隣【近藤】(仮)が凄まじい風呂トイレ狙い尽くし最大級レベルストーカーごり押し状態となり、夕方庭張り込み丸出し草木切り音。妖怪草木切り音庭張り込みストーカー。こりゃ、また異常高温日が連続するわな。予報に出てるし。化け物度を壮絶露呈させてきたくせにまだやるのか、庭張り込み。執拗な化け物【異世界】だな。これ書いてたら土曜日なのに西向い日神工業門音だよ。やはり、連動。化け物度は到底隠せない自白状態。その直後に真下北隣【近藤】(仮)駐車場で車ドア音。その直後にまた日神工業門音。凄まじい連動だな。バカなのか、非人間の証明したくて死に物狂いにしかみえない。しかも、車ドア音させたくせに、車出ていかない。昼からずっと車あるのに、完全ストーカー目的だろ。
草木切り音ということは、ハサミを持っているわけだ。ハサミは凶器だ。要するに、まだまだ殺害目的【異世界】というわけで、庭に潜んで、そのハサミで殺害しようとする段階だ。そして、この家から北側へは出入りできないとも知らない構造ギャップ【異世界】。トイレから出入りできると思ってる【異世界】だ。だから【祖母】(同じ家の中に住んでる。外出以外に滅多に庭や家の外なんか彷徨かない)のトイレ出入りと北隣【近藤】(仮)の蠢きが凄まじく連動している。その長年の連動のあまりの多さに、トイレを外に繋がる出入り口だと思ってるんだなと思わざるを得ない程だ。最初は全く意味がわからなかったよ。北側からどうあっても出入りできないと実際が見えてれば一目瞭然だから。あまりに連動し過ぎて、そう考えざるを得なくなったのさ。故に、架空設定の中では北側から出たところを北隣【近藤】(仮)が外で草木切り庭いじりで待ち構えて、ハサミ(その他の凶器)で刺し殺害するという設定が見えてきそうな勢いだよ、その執拗さ。その執拗さと狂気レベルは、殺害レベルの狂気だからね。草木切り音は、凶器の正当化を表しているわけだ。庭いじりも、道具を凶器にするためにやっている。スコップで殺害とか、よくある話だから。園芸(庭いじりや庭にあるもの)関係が凶器になる事件もの多いからな。あんまりしつこいから、意味が見えてきた。
西暦2018年8月18日:土曜日夕方長々と続くから、音がしばらく止んだから、トイレ入ろうと様子を見ていたら(何度も様子窺ったがその度に再発していた)あからさまにトイレ狙い丸出しに北隣【近藤】(仮)老女(茶色服。また真夏日に長袖だった。やはり季節混同)が潜んでいた姿をヌッと現したから写真を撮ったら逃げた。日没まであと数分、薄暗いのにまた非人間アピール。

正体が見えてきた。洗濯概念欠落【異世界】はピンク服(Tシャツ平屋外干しすぎのやつ)に固執し、それはやはり短髪女で、その系統が全否定系統【異世界】なわけだ。自分が「サイコパス」だと自白している短髪女ストーカー。ハル系統【異世界】。だからあんなにまで洗濯概念の欠落が露呈しまくっても、執拗に執拗に洗濯概念欠落干しをやり続ける。日神工業北東部と連動する【太陽系異世界】だ。(北隣【近藤】(仮)老女の大元は真逆全否定系統【南半球化け物異世界】南隣元樋下田老女だ)。
【祖母】(同じ家の中に住んでる。外出以外に滅多に庭や家の外なんか彷徨かない)に別人憑依状態で表れる高慢ちきババア系統だ。この領域の世界構造と概念の現実性を可能な限り全否定する『優生思想』男主人公世界。だから高慢ちきなわけだ。だから、貨物トラックを貨物列車なんて言ったり、さくら市(市町村名)を「さくらいち」とあり得ないことを言ったりする上に、常に別人と話す状態となり、話が全く噛み合わない。自世界にこだわりすぎて、ごり押し架空別人と話しているからだ。
この全否定【異世界】が庭に固執する。「にわとり」ってか。庭がトリ(最後)なんだろ。だからこそ、全否定度が凄まじい。こいつが前面に出てるときに本当に苦労させられる。

今日、西暦2018年8月18日:土曜日、朝イチトイレ狙い打ちで北隣【近藤】(仮)近接リビング外付近から轟音物音、取り繕いに走ったが、殺害モード全開なのが丸出しで、次に用事で南側の部屋へ行ったら、無法の極みすべてが真逆全否定系統【南半球化け物異世界】南隣元樋下田で、あからさまタイミング狙いで老女と50代ババア話し声。凄まじい狂気の極みだから用事を止めたくらいに異常事態。その老女の声が、北隣【近藤】(仮)老女声にそっくりで慄然としたが、姿格好もそっくりで、服装もそっくりで、蠢き方もそっくりで、あからさまにやはり【南半球化け物異世界】老女が南から北へ移行したのが北隣【近藤】(仮)老女だとよく判る。この執拗さ、化け物としか言いようがない。そして、1食目直後部屋に戻ったら、今度は北隣【近藤】(仮)平屋外で轟音。1食目終わりから凄まじい場違いバイクが殺害目的【異世界】丸出しに何もないし通り道になり得ないど田舎町を走りまくって非現実丸出しアピールをしていたが、本当に【南半球化け物異世界】って、問答無用の化け物レベルだな。知能欠落度が凄まじい。タイミングというタイミングを追いかけ回し場違い・非現実・非人間アピールの限りを尽くし、すべてを破壊しまくるゴジラ(架空の怪獣)・怪獣の如く暴れまくる的な表れしか出来ずに、化け物アピールをしつくす。本当にバカだな。知能欠落化け物だから、殺害不可能さがわからないのだ。知能が少し位はあれば一目瞭然だろうに。毎朝何かしら凄まじいタイミング狙いを引き起こしてるのは洗濯概念欠落レベル、要するに人間の基盤概念欠落しまくり【南半球化け物異世界】だ。間違いなく執拗に執拗にババア幽霊声を引き起こして睡眠妨害してる【異世界】だ。【南半球化け物異世界】表れすべてが無法の非常識なのは、やるすべてが犯罪レベルだから。
もはや近辺をバイクが走るだけで、非人間・非現実の証だ。だから「殺害バイク」「非現実バイク」「場違いバイク」と呼んでいる。

あまりに執拗過ぎて、次第に化け物レベル【異世界】の区別と実態がはっきりしてきている。
【太陽系異世界】の範囲は広く、馬頭系統問答無用レベル突進総動員争奪戦衝撃レベル【南半球化け物異世界】はすべてを踏み荒らすゴジラや怪獣レベルの、知能が全くない、思考すらせず、すべてを殺戮、破壊しまくる凄まじい化け物レベル。そして、周辺に潜伏しながら作業などのフリをしつつ、草木切り音などをさせながら身を潜めつつヌッと現れて殺害する、潜伏張り込み型【妖怪レベル異世界】。いずれも殺害モード【異世界】というわけだ。庭蠢きでタイミング狙い関連付けだけをしていたんじゃなく、殺害目的だからこそ、こんなにまで執拗。
事件ものとか、推理もので、よく園芸の道具が凶器になるように、凶器になるように表れてるすべて、【異世界】段階でやり尽くした殺害手段だったわけだ。
思い起こすと、植木鉢、スコップ、農薬、除草剤、石、ハサミ、草刈り鎌…と園芸道具がものすごく多いし、花瓶も草花で一致するし、あらゆる置物は娯楽分野で金持ちを象徴するし、ゴルフの道具もしばしば凶器になるが金持ちの道楽…園芸も象徴的には元々金持ちの道楽なわけで、金と物凄く暇を持て余してる享楽だし…高慢ちきババアに表れるように、道楽、享楽、暇を持て余してる、生活の基本以外の無駄さ、金持ちーとその性質が明らかに【太陽系異世界】の表れなわけだ。やはり、象徴的過ぎる。【太陽系異世界】は『生きるために必要な基本、生活に必要不可欠』をやらずに、というか概念欠落故に表現できずに、無駄なことばかりやってるというのが如実に表れている。
なんせ、その目的のすべてが『殺害』だけだから、その目的を中心にすべてが作られるからさ。

お前ら【太陽系異世界】は『現実の人間』として『生きて』すらいないんだよ。すべては『殺害手段』の為に在るから『人間の現実性』なんか欠落しててもお構い無しだからさ。だから、現実の人間の命も身体も生活も表現できない。『不都合殺害』だけを果たせればそれでいいとたかをくくっているからさ。だからこそ、存在自体が在るだけで、非人間・非現実の証と成り果てる。それは『不都合を排除』するためにだけ作られた代償なのさ。
太陽は触れるすべてをその高温で燃やし尽くす。勿論触れたならね。触れさせられなければ不可能だが。そして、その直の高温に耐えきれる物は存在しない。
在るだけで、すべてを破壊しまくる破壊神。
だからこそ、後々の【異世界】段階は、取り繕い不可能となり限界へ陥るのさ。

庭蠢きあらゆる言い訳手段のその凄まじい執拗さは、殺害レベルの狂気だよ。あまりに執拗過ぎたからこそ、判明せざるを得なかった。あれほど人間の現実性の欠落を露呈させながらの執拗さは、そこには殺害目的しかないからだろ。


(2018.8.22)
【A・Course・in・Miracles】で『聖霊』と歪められた【終わらせる為に作用する何か】の作用が、『【異世界】間漏れ作用』によりエゴに世界の作り直しを余儀なくさせて、作る世界の方向性を誘導して最後の世界に最後の結果として作らざるを得なくさせたのが、この領域(あるいは最後により近い世界)。だから、表れるすべては『知る手段』として、パズルのようになっている。エゴが各【異世界】段階で何をやろうとし作ったかが窺い知れるように象徴として表現されている。だからこそ、【異世界】の表れは、この領域の現実性に照らし合わされて『浮く』。この領域の世界構造や概念の現実性とはかけ離れすぎていて、ギャップが『浮き』過ぎるから、【異世界】の表れだと一目瞭然となる。 
だからこそ、『この領域』の事実ー最終結果はエゴに消すことなんかできやしない。いかに【異世界】段階で隠せたようにみえたとしても、エゴには『この領域』を消滅させることはできない。

だからこそ、いずれ、エゴが隠してきたすべては露となる。それは避けられない。
すべてが絶対に隠せなくなる。

そして、以下はエゴの世界の作り直しの実態が解りやすすぎる小説の引用だ。これは、エゴの世界の作り直しの繰り返しの果ての末期状態を表現しているとしか言いようがない物語だ。取り繕いに無理が出すぎているのがよく解る。察するに、木曜日改竄系統、女主人公段階になるともはや取り繕いに無理がありすぎている事態に陥っているのが窺える。もはや主人公が女段階に入った段階では取り繕いが限界に程近いのでは?
この領域では、物語にすらこうもエゴの実態が解りやすく表現されているのだ、とお忘れなきよう。

小説『終わる世界のアルバム』より引用
『「つまり、人が死んでも、遺体からなにからみんな消えちゃうし、だれの記憶からも消えちゃうわけでしょ。そうするとお葬式とかお墓参りってのがなくなっちゃったわけ」
…(略)…
「死んだらみんな忘れちゃうわけでしょ。そしたらそもそもどうして、人が次々消えてるなんてことが起きてるってわかったんだろう」
「だって、どんどん空き家が増えてるじゃないか。身寄りのない人も大勢いるし」
「そういうのって状況証拠じゃない?」
…(略)…
「人が消えるとこ、だれも見たことがないんでしょ」
「あるかもしれないけど、忘れちゃうんじゃないかな」
…(略)…
死んだ人間があらゆる人の記憶からーそしてあらゆる媒体の記録からー消えてしまうのだとしたら、その消えたという事実はだれが証明するのか。
…(略)…
「お偉いさんの中に、記憶が消えないやつが二、三人いるんじゃないかな。科学者とか政治家とか。それで黒点病が流行ってますよーって広めたの」』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『ねえ、莉子。きのう言ってたよね。この現象が、神さまからのプレゼントなんじゃないかって。別れが人間を哀しませないように、忘れさせてくれているんだって。それは嘘だよ。だって、そんな必要ないんだ。神さまの余計なお世話なんてなくったって、ぼくは自分の心を一滴もこぼさないまま持っていられる。ただ、距離を保つだけでいい。…(略)…もし、神さまかだれかが、人の死のたびにぼくらの記憶とか携帯電話のメモリとか新聞記事とか銀行口座とかロッカーの名札とかに一所懸命消しゴムをかけているのだとしても、それは哀しませないためじゃない。ただのきれい好きだ。たぶんね。そんなふうにしてぼくらの世界は、さざ波ひとつたてずに、美しいままに、少しずつ少しずつ失われていく。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『かつては、死というものが確かにあった。本や新聞には載っている。ある程度昔死んだミュージシャンの録音も残っている。どこかの時点で、あの薔薇の病気とやらが始まった。人間から死というものが奪い取られ、見えない塵になるまで細かく砕かれ、世界中に撒き散らされるようになった。それまでは、屍はちゃんと真っ白な薔薇に埋もれて見送られてきたはずなのだ。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『そう言って暗室から追い出そうとしたけれど、実のところぼくもアナログ写真の良さを理解しているわけではなかった。ただデジタルデータが不安なのだ。だって、だれかが死ぬと携帯の登録番号とかメールとか着信履歴は丸ごと消えてしまう。デジカメなんて怖くて使えなかった。たぶん、神さまが消しゴムをかけやすいものと、そうでないものがあるのではないかと思う。デジタルデータや人間の脳みその中の記憶は簡単に消せそうな気がする。なにせどちらともただの電気信号だ。
みんな、どうしてあんなに平気そうな顔をしているのだろう。こんなにも次々と人や物が消えていっているのに、なぜ変わらない暮らしを笑って続けられているんだろう。そのうそ寒い違和感は、両親は死以来ずっと抱え続けていた。その疑問が胸につかえている限り、だれとも親しくする気になれなかった。ロボットの群れの中でひとりぼっちで暮らしているような気分にさえなった。
でも、ほんとうはぼくにもわかっている。だれも死んでいないのと同じことなのだ。だれかが死ぬたびに、その人が最初から存在しなかったかのように世界が丸ごと造りかえられているのだから。そこでぼくは『世界が先週の木曜日に猫の女王様によって創造された』という哲学的与太話を思い出す。あらゆる偽物の記憶と経験と歴史とを含めてこの宇宙ぜんぶがほんのつい最近生まれたものだとしても、そこに生きる人間には偽物だとわからない。
だからたまに、不安になる。ぼくが抱えている死人の記憶と写真だって、ほんものとは限らないからだ。ぼくはたった一枚の両親の写真と、父と母の死の記憶を持たされ、十二歳の六月に、この一軒家と一緒に忽然と発生したのかもしれない。その否定の証明は、だれにもできない。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『父は、ぼくが中学に入ってすぐに交通事故で死んだ。事故の日のことはよく憶えている。雨の夜で、ぼくら家族三人の乗っていた車にトラックが横からぶつかったのだ、ぼくと母は軽傷で済み、手術を終えてもまだ意識不明だった父を病院に残して、深夜に帰宅した。玄関を開けるなり母が、大した怪我じゃなくてよかったわ、夕食どうしよう疲れてるしお腹減ったし冷食でいい?と言って笑うのを見て、ああ、たったいま病院で父が死んだんだな、とぼくは悟った。冷凍ピザを電子レンジにかけている間にコーヒーを淹れようとしたぼくは、父のマグカップがなくなっているのに気づいた。箸もなかった。…(略)…
母は、それから四日後に消えた。朝ご飯を食べている最中、なんの前触れもなく、ぼくの目の前で突然消えたのだ。母が右手に持って口に運ぼうとしていたハムエッグサンドはテーブルに落ち、黄身がべちゃりと潰れて広がった。左手に持っていたマグカップは一緒に消えていた。
もし消えたのが父だけだったら、というのは今でもときどき考える。ぼくは父の不在について、それからぼくにだけ残っている記憶について母に話し、母に不審がられ、違和感に苛まれ、もっと深く傷つけたうえで、結果的には外界との折り合い方を身体で学んだかもしれない。でも、両方ほとんど同時に消えたのだ。ぼくはその二つの事実を、だれにもぶつけられず、そのまま呑みこむしかなかった。
人は死ぬと消えるということと、死ななくてもたまに突然消えるということだ。
呑み込んだところで、ぼくの暮らしも、ぼくを取り巻く人々も、なにひとつ変化がなかった。なにしろ消えた人にまつわるなにもかもを忘れてしまうのだ。だからぼくもそういうふりをすることにした。だれもいない一軒家に、気づけばひとりで住んでいた子供のふりだ。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『須藤先生は、消滅したのだ。その身体も、存在していたという様々な傍証も、それから触れ合った人々すべての記憶も、化学準備室という名前さえも、みんな消えてしまったのだ。この写真と、ぼくの記憶だけを残して。
この小さな部屋は、ずっと昔から写真部は部室として、閉めきって真っ暗なままで使われているーそういうふうに、現実は書き換えられてしまった。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
(知り合いだった小さな店のお爺さんが消滅し、その店の建物ごと消えていたのを発見した場面)
『あの娘さんが弁当を毎日作ってこの場所に持ってくるという、その習慣は、今でもまだ続いているわけだ。ただ、その意味は書き換えられた。猫の唾液にまみれたミッキーマウスを見やる。ひょっとしてあのじいさん、猫の餌なみに粗末な弁当を毎日食べさせられていたってことなのか。そりゃあ書き換えやすいわけだ』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『ぼくはその不自然さを、もう笑って流せない。たぶん、以前は他のだれかのためにあったその場所を、ぼくが埋めるようにして現実は書き換えられたのだ。おそらく恭子さんの夫だ。だから恭子さんは、ぼくみたいな無愛想な子供にも奇妙なくらい優しいんだろう。
代償行為。
だとしたら、なにもかもがそうである可能性を孕んでいる。ぼくの瞬きひとつ、呼吸ひとつ、鼓動のひとつまでもが、かつて存在していたなにかのための代わりなのかもしれない。
ポケットに手をやる。ごわごわした写真の感触がそこにはまだ残っている。
どうしてぼくは、ここまでして写真を撮り続ける?
なにかの代償行為じゃないのか』
小説『終わる世界のアルバム』より引用中
『もういないんだよ、とぼくは思った。ぼくやきみたちに餌をくれてたあの人は、もういないんだ。おばあさんも、あの人のことは忘れていた。しかも、代わりの飼育係はいないみたいだ。現実はそうそう都合の良い方に書き換わらなかったってことだよ。』
小説『終わる世界のアルバム』より引用
以前引用箇所あり

人が次々に消えていき、記録や所有物、その人が存在してた証も消えていき、残された人々の記憶からも消えてしまい、最終的に世界の終わりへ向かっていく物語だ。

ただ、そんなやり方には必ず無理が出る。ポツポツと記憶が残っている人々もいて、主人公はその内の一人だった。
世界の現実性は相互関係、相互作用の中にある。だから、存在していた人間の存在を抹消しようが、無理が出てくるのは当然だ。それにより、『代償行為』がなされ、消滅した人がやっていた行為を、別の誰かが補完していく。そんな繰り返しはいずれ破綻する。無理が出すぎて取り繕いのしようがなくなる。存在していた人間の消滅を取り繕うために、その関係性の隙間を完全に埋めるなど不可能なのだ。
それが相互関係、相互作用だ。

この物語は、エゴの世界のやり直しの取り繕いに無理が出すぎていずれ世界の終わりへ向かうしかない位に限界に陥っていく過程がよく解る表現になっている。因みに、中古の小説だ。この領域より前々の【異世界】段階を表現しているわけだ。
エゴはどんどん不都合を隠しきれなくなっていき、不都合消滅を試みても、それらの取り繕いの言い訳は限界へ陥っていくのみだということだ。
データ消去みたいに、都合よく完全に消し去るなんて不可能だということだ。【終わらせる為に作用する何か】の『【異世界】間漏れ作用』は、どんどん取り繕いのエゴの世界の作り直しを限界へ陥らせるように、作用するからだ。エゴはどんどん不都合を隠せなくなる。
その果てに、『この領域』がある。

起きてしまったことはなかったことにはできないんだよ。

この『代償行為』ーこの領域では、各【異世界】段階が象徴的に表現されているが、エゴは後になればなるほど、より初期段階の【異世界】の取り繕いを余儀なくされていく。
より初期段階は、不都合をあからさまに殺害抹消しようとする。その手法は初期であればあるほど問答無用のあからさまさだ。文字通り不都合へあからさまに突進する。
しかし、この領域段階では、殺害段階【異世界】は化石のような太古の昔の過去の遺物であり、終わりすぎているから、表現されるのは、突進殺害目的【異世界】の突進の言い訳だ。取り繕い。しかも、初期ほど、「殺害できるまでやり尽くす」レベルに執拗に何度も何度も殺害できるまでやろうとする。その象徴的表れが、突進争奪戦衝撃レベルの総動員となりこの領域に表現されている。
外出するために外に出た途端に、周辺が一斉に突進総動員になり、近隣の住民たちが一気に押し寄せ、どこからどこへ向かうのか田んぼへ向かうのか嘘だろ通行人が自転車も含めあからさま不審者も含め一斉に場違いに出現し、ど田舎町にあり得ないバイクやトラックを含めた交通量異常大量局所発生がなされ、何故か周辺を巨大トラックが封鎖したい願望丸出しに出現する。道中には毎回、日時時間帯場所お構い無し出現化け物学生やスーツ。こんな現実性は不可能だし、こんな現実の人間はあり得ない。到底現実である筈もないこの狂気の極み異常現象、初めは本当に驚愕の極みだったが、表現されたすべてを観察していくうちに、エゴがより初期に作った殺害目的【異世界】だと判明した。殺害できるまでやり尽くす段階が一斉に表現された。だからこそ、突進争奪戦衝撃レベル総動員となるわけだ。最初のエゴの目的として、すべてが殺害目的で投入されたというわけだ。
しかし、この領域のこの個体を殺害するのは不可能。もう殺害排除段階は終わりすぎているからだ。だから、その非現実の証としかなれない狂気現象を、その後のエゴは取り繕い段階で取り繕うために全力を尽くす。それで、家の敷地で作業のフリをする近隣住民や散歩や買い物外出する通行人や近隣住民や業者の作業のフリやその他の言い訳が作られた。
それが、『代償行為』なわけだ。この個体は『代替行為』とか『補完行為』とそれらの取り繕いを呼んでいる。
例えば部屋にいる時ならば、誰かが凄まじい勢いで突進して部屋の前まで来る。それも、より初期の殺害目的全開【異世界】の表れの突進だ。しかし、殺害は不可能世界段階だし、家族以外は家の中を動き回れないから、【実母】による掃除等の家事などの動きとして取り繕われている段階の【異世界】の表現が表れるのみとなる。しかし、大概タイミングが凄まじいし、壮絶な勢いでしかも周辺外と連動し家族中が総動員となる狂気丸出し状態なので、現実性など到底正当化できないレベルにある。
突進争奪戦衝撃レベル総動員が不味いと判明すると、エゴは潜伏待機したり、いきなり音もなくヌッと現れれば殺害できると勘違いする。それで、一階に降りる度にタイミングを狙い尽くし、まるで妖怪の如くヌッと現れる家族などの、妖怪ヌッと出現系が凄まじい表現となる。静かに現れようが、こんな凄まじいタイミング狙い丸出しでは、人間の現実性など到底正当化不可能。どんな用事的、必然的言い訳をしようが、それを取り繕うのは不可能だ。
故に、突進争奪戦衝撃レベル総動員だろうが、音もなく潜伏系妖怪ヌッと出現系だろうが殺害目的【異世界】の取り繕いの『代償行為』は不可能となる。
もはや、現実の人間だなんて言い張れるレベルにはない。
故に、この領域が進行していくにつれて、どんどん、世界の非現実性、人間の非現実性が自白されていき、証拠の積算となっていく。
もはや、知覚ある世界すべてはエゴが作ったインチキだと疑いようがない。実際エゴという名称じゃなくとも、世界がインチキであることには変わりはない。

どんどん実証されていくのみ。
何故なら、この領域は【終わらせる為に作用する何か】によりエゴが否応なしに不都合の極みを作らされた、エゴの欺きのすべての真相暴露ルートだからだ。

今日は朝、何故かうつーっとして身体が重くて、書きたくなくて、何かツッコミ作業もうやりたくない状態に陥っていて、復唱だけにしようと思っていた位にすべてが重かった。
しかし、作業始めた途端に、前々から書こうかなと思ってた今日の引用を「今日書き尽くしてやる!!」とかいう台詞とともにいきなりやる気がみなぎって来た。いきなり過ぎて、当人が「…え?」とびっくりした位に唐突だった。まさにスイッチ入った状態。これは良いスイッチだが。当人が「いきなり過ぎてびっくりしちゃった」状態だ。それでやはりエゴが今日の内容を書かせたくなくて全力になってたんだな、と判明した。まあ、よくあることだ。前々の【異世界】段階エゴが、悪あがきで気持ちを操作して鬱々とさせ重くさせて妨害するという、よく表現されるパターン。そして、そのいきなりのスイッチで、どんなに酷い状態でも、いつもやる気と共に、完璧にやり尽くしてやる決意が生じる。そして、しばしば、一変して心も身体も軽くなる。突然呪いが解かれたように。
こういうとき、本当に自分もエゴに作られたインチキだなぁと実感する。【終わらせる為に作用する何か】の作用の否応なしさもよく解る。エゴは、この個体がやるべきすべてをどんな手段でも妨害しきれない。やるべきすべてがこうして必ずやらざるを得ない状態へ持っていかれる。そのエゴが【終わらせる為に作用する何か】の作用に絶対に太刀打ちできない実態がよく解る。
本当に面白かった~。鬱々と重い状態からのいきなりのやる気みなぎる身体の軽さへの変化。笑えたわ、笑えたわ。
やるべきすべては必ずやるようにさせられる、と知れ、エゴ。無駄な抵抗なんだよ。
こんな状態で、どう殺害が可能となるのさ?内側からの妨害すら不可能なのに。

いくら足掻いても、最終的に、【終わらせる為に作用する何か】の最終結果にしかなれない。


【このブログにあらゆる手段で関わろうとする方々へ】

この本物:佐藤篤代のブログは【A・Course・in・Miracles】の「知覚ある世界はエゴが作った幻想」だという基盤で構成されています。
そして、本物:佐藤篤代が何を言動しようが「知覚ある世界すべてはエゴが作ったインチキ」だという決定的結論へ導く中身しかなされていません。どんな実例を挙げようが、それ以外の結論となる内容は一切言っていません。
何を言おうが結果「知覚ある世界すべてはエゴが作ったインチキ」だとしか言っていません。

それは概念的なレベルの問題です。概念的なレベルの問題なので、理解できない、受け入れられない方々がいるのは当然であり、一切押し付けるつもりはありませんし、誰とも関わるつもりはありません。

一般的に言えば、キリスト教の教えが受け入れられない者は、キリスト教のブログをわざわざ見ないし、偶然行き着いたら直ちに去ります。それが現実の正常な人間の反応です。
それをいちいち追いかけて、他者の領域を侵していちゃもんつけをして全否定するような者は常軌を逸した精神的異常者か、救いようがないかなりの精神的未熟者としか言いようがない狂気の沙汰です。普通、受け入れられない概念レベルの前からは立ち去ります。放っておくか、尊重します。それを放置できずに固執するのは狂気です。人間の現実性を失っているか、かなりの病的な性質所持者としかなりません。

受け入れられないのならば、見なければいいし、直ちに立ち去ればいいだけです。そうできないのは、異常過ぎる病的な狂気のストーカーです。

別に何と言われようが思われようがこちらは構いません。けれども、いちいち同じことを繰り返すのは面倒で迷惑なので、このブログの外でやって下さい。外で悪口でも批判でもすればいいです。概念レベルの論争は平行線にしかなれず、不毛で時間の無駄だからです。

まず、【但し書き】がこれだけあちこちにあるのに、それを踏みにじってまで関わろうとする者は、この本物:佐藤篤代とは完全に異なる世界基盤・土台の中にあるとしか言いようがない状態です。この領域の世界構造と概念の現実性の中では、【異世界】の住人と言われても仕方ないレベルにあると知ってください。

この但し書きの意味が解らないならば、あなたは全く異なる世界基盤・土台の中にある【異世界】の住人です。
話が通じるわけがない。

佐藤篤代
西暦2018年8月

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2018年後半(22)
【A Course in Miracles】
起きたことはリセット不可能
西暦2018年8月23日:木曜日


西暦2018年(年号:平成30年)
戌(いぬ)年現在

【佐藤篤代について】

[blogで言ってる主旨]

 この本物:佐藤篤代のブログは
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。
【A・Course・in・Miracles】の核心
「知覚ある世界はエゴが作った幻想」
を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

[佐藤篤代]

故に、佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

本物は将来性のないニート
(西暦2018年)
佐藤篤代は西暦2018年1月17日(水曜日)で42才
栃木県宇都宮市のド田舎生れ
ずっと在住
日本人(血縁すべて日本人)
生まれてからずっと中肉中背
普通の容姿
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート
生涯未婚で子無し

西暦2018年段階の概念:佐藤篤代

佐藤篤代の現段階の概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102633510.html

A Course in Miracles;世界は幻想という意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11740124334.html

人間の現実性の中での基本的情報提示:【日本】とは/佐藤篤代

無法地帯【異世界】影響を制し限界へ陥らせる為の情報提示:佐藤篤代/西暦2017年

【狂乱近藤異世界】長年のストーカータイミング狙いパターン

西暦2018年版佐藤篤代のリンク集

西暦2018年版佐藤篤代のプロフィール

佐藤篤代の日記リンク(西暦2012年~)
43才になったらやらない一覧
http://simplog.jp/comment/11771884/23

人間の現実性の中での基本的情報提示:リンク/佐藤篤代

ニュースリンク(西暦2014年4月~)
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12102638099.html

【但し書き】必ずお読み下さい
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12101838092.html










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メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい例外は一切ありません
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なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。
【リブログ】は機能開始時から禁止しており、元から出来ないように設定してあります。これは似たようなあらゆる機能によるシェアを禁じるという意味です。

【例外なく皆このブログから立ち去って下さい。誰とも関わりません:佐藤篤代】
https://ameblo.jp/universalacim/entry-12306413127.html

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2018年後半(22)
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起きたことはリセット不可能
西暦2018年8月23日:木曜日
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