概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(5)
西暦2015年7月24日:金曜日

(5)【『A・Course・in・Miracles』与える&受け取る】

①【A・Course・in・Miracles】ワークブックのLESSON108「To give and to receive are one in truth.」
②知るべき全ては巡りめぐる。「与えることと受け取ること」の実態は過去で知ってきた全てを現在提示することにより、過去でその全てを知るようにさせられるというシステムだ


【①【A・Course・in・Miracles】ワークブックのLESSON108「To give and to receive are one in truth.」】

今回は、【A・Course・in・Miracles】の「受けとる(receive)ことと与える(give)こと」に関する概念的方向性の引用を【A・Course・in・Miracles】原書を用いて提示していく。

恐らく今回後半(5)と次回後半(6)の2回に渡り【A・Course・in・Miracles】ワークブックの
LESSON108
「To give and to receive are one in truth.」と
LESSON126
「All that I give is given to myself.」
を中心に取りあげる。

『西暦2015年後半(5)【A・Course・in・Miracles】与える&受け取る』ではLESSON108
「To give and to receive are one in truth.」を引用する。

西暦2015年段階では本物:佐藤篤代は【A・Course・in・Miracles】自体を歪みだと見ている。神概念も癒しも歪みだ。聖なるキラキラもエゴのアメだと疑ってかかる必要がある。
故に『神の使者』も同様だし、日本語訳で更に歪んでいる。
それを踏まえた上で引用するのは、知る過程では欠かせないからだ。

また、原書にある「brother」は「あらゆる他者」、「the Father」は「神」を指すが、これは特別性を温存するための理由で書かれている場合がほとんどだ。
歪みだが【A・Course・in・Miracles】の「Heaven」は「Heaven=神=神の創造物=神と1つの状態」だ。


▽以下引用

LESSON108

To give and to receive are one in truth.

1. Vision depends upon today's idea.
The light is in it, for it reconciles all seeming opposites.
And what is light except the resolution, born of peace, of all your conflicts and mistaken thoughts into one concept which is wholly true?
Even that one will disappear, because the Thought behind it will appear instead to take its place.
And now you are at peace forever, for the dream is over then.

2. True light that makes true vision possible is not the light the body's eyes behold.
It is a state of mind that has become so unified that darkness cannot be perceived at all.
And thus what is the same is seen as one, while what is not the same remains unnoticed, for it is not there.

3. This is the light that shows no opposites, and vision, being healed, has power to heal.
This is the light that brings your peace of mind to other minds, to share it and be glad that they are one with you and with themselves.
This is the light that heals because it brings single perception, based upon one frame of reference, from which one meaning comes.

4. Here are both giving and receiving seen as different aspects of one Thought whose truth does not depend on which is seen as first, nor which appears to be in second place.
Here it is understood that both occur together, that the Thought remain complete.
And in this understanding is the base on which all opposites are reconciled, because they are perceived from the same frame of reference which unifies this Thought.

5. One thought, completely united, will service to unify all thought.
This is the same as saying one correction will suffice for all correction, or that to forgive one brother wholly is enough to bring salvation to all minds.
For there are but some special cases of one law which holds for every kind of learning, if it be directed by the One Who knows the truth.

6. To learn that giving and receiving are the same has special usefulness, because it can be tried so easily and seen as true.
And when this special case has proved it always works, in every circumstance where it is tried, the thought behind it can be generalized to other areas of doubt and double vision.
And from there it will extend, and finally arrive at the one Thought which underlies them all.

7. Today we practice with the special case of giving and receiving.
We will use this simple lesson in the obvious because it has results we cannot miss.
To give is to receive.
Today we will attempt to offer peace to everyone, and see how quickly peace returns to us.
Light is tranquility, and that peace is vision given us, and we can see.
(P195~196)

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS:
LESSON108:1~7


LESSON126

All that I give is given to myself.
(P227)

△以上引用

【A・Course・in・Miracles】
second edition
WORKBOOK FOR STUDENTS:
LESSON126冒頭

今回、LESSON126は冒頭だけで、中身は次回西暦2015年後半(6)概念に提示するつもりだ。



【②知るべき全ては巡りめぐる。「与えることと受け取ること」の実態は過去で知ってきた全てを現在提示することにより、過去でその全てを知るようにさせられるというシステムだ】

【A・Course・in・Miracles】でも言うように、与えることと受けとることはこの知覚ある世界の中で同じには見えない。

この知覚ある世界では、不公平で、良いものを与えたのに、良いものが返ってくるようには見えない。良いことをしても他人に罵詈雑言を投げ掛けられたりする。いくら良いことをしても不幸がやってくる。

良いことを与えても、すぐに自分に返ってくるとは限らない。大変な時間がかかる場合もある。だからわかりづらい。

だから、良いことを与えても仕方ないのではないかと考えたり、不公平さに嘆いたり、損をしたように感じる。

目に見えるレベル、物質主義者レベル、物理の法則レベルにおける視点では、【A・Course・in・Miracles】ワークブックの
LESSON108
「To give and to receive are one in truth.」と
LESSON126
「All that I give is given to myself.」
は理解できない。
目に見えるものしか信じないレベルでは理解できる筈がない。

この法則を動かしているのは目には見えない作用だからだ。せめて目に見えない法則に気づいているレベルでなければ、絶対に理解できる筈がない。

この知覚ある世界の中でも、似たような法則がエゴによって作られている。

成功法則の潜在意識の法則はまさにそうだ。潜在意識に与えたものを結果として外側の世界で受け取る。
無論、潜在意識に与えたものというのは、いい加減に中途半端に与えたものではなく、信念だ。

何か願いがあるのならば、その願いの思考を信念レベルまで強化しなくては、潜在意識にインプットはされない。
α波が出ている時には潜在意識にインプットされやすく、β波が出ている時にはインプットされにくいというのもあるが。
因みに、α波状態はリラックスした、眠りに落ちる前のような状態、β状態は通常の覚醒時の意識と関連付けられている。
故に潜在意識への願望入力はα波がよく出ている眠りに落ちる前等に行う。瞑想の時にもα波が出やすいので瞑想と関連づけてリラックスさせて行う。
その繰り返しで願望を信念レベルまで高める。但し、メンタルブロックと呼ばれる願望達成を妨げる信念が潜在意識に占められている場合は、願望達成は妨害される。故に願望達成を妨げるメンタルブロックを探り出し、その障害を取り除く為の思考を潜在意識にインプットする必要がある。
また、無意識ではそれを心から望んでいない場合がある。その場合は信念レベルまで高められている思考が打ち勝つ。本当の願望が叶えられるということだ。

故に、自分の無意識、特に願望達成を妨げるメンタルブロックを探り出すことは成功法則の実践では欠かせない。

この法則も、「与えたものを受け取る」というこの知覚ある世界バージョンだ。故に、成功法則段階で熟知すべき、知る段階としては欠かせない知るべきことだ。

潜在意識にインプットされた信念レベルの思考が外界で受け取られるという「蒔いた種を刈り取る」法則を、成功法則では熟知しなくてはならない。

成功法則で有名な、ジョセフ・マーフィーでは多々出てくる「人にこうしてもらいたいと思うことを人にしなさい」は、行動だけのものではなく、心からのものでなくてはならない。

心の内では他者を馬鹿にして見下していながら、表では優しく理解あるように見せて親切にするのでは意味がないということだ。刈り取られるのは信念レベルの思考。行動ではない。口で言うことではない。心の奥底の信念だ。

故に、実際与えているものは、表向きの言動ではなく内側の信念だということになるわけだ。

故に、無意識、心の中で他人を否定するような信念はないかを探り出し、気付いたら、その否定的な信念を取り除く為の新たなプラスの思考を信念レベルまで高める実践をしなくてはならないということた。

飯田晴子氏の漫画「聖・ライセンス」はこの知覚ある世界の中の自然の法則、成功法則、心の法則をよく表現している漫画なので、長年何度も読み返して、一度捨てた後、西暦2011年以降の再利用段階で文庫版を購入して持っている(何故かあり得ないことに最終巻7巻が紛失しているが)。

その「聖・ライセンス」の中に解りやすい例えがある。
「鏡の廊下」という不思議な空間があり、そこは自分の影を映し出す。それは地上(知覚ある世界)でも同じだが、鏡の廊下で違うのは時間の概念がないということだ。自分のやったことがそのまま直に反射されて自分に返ってくる。人を傷つけているつもりが自分を傷つけてしまっている。逆に愛と理解を与えれば愛と理解が受け取られる。地上では与えた結果を受け取るのに時間がかかるように見える。

主人公のコーニーは愛を学び聖なる乙女になる為に女神様がいる雲の上のユニコーン宮殿で勉強をしていた。そんな時、勉強する資格をまだ得ていない子供チェルシーがユニコーン宮殿にやってきて、鍵がなければ目的地に行けず迷って出れなくなる鏡の廊下に1人で取り残された。チェルシーは鏡の廊下で自分の幻影に苦しんだ。チェルシーは他者に否定的だったので、その自分の性質を表したコーニーから自分のやったことがそのまま返されていた。鏡の廊下では自分の姿が映される。だが自分から見ればその影が他人に見えるのだ。
それを知ったコーニーは自分のせいでチェルシーが迷子になったと思い、鏡の廊下に助けに行こうとする。
だが、自分を責めるコーニーは門番に
「そーゆー考え方もいかんと言っとるだろーが。いいかいお嬢!
自分のせいにしても他人のせいにしても何かを責めている気持ちにかわりないんだよ。
自分のせいだとか人のせいだとか言っとるうちはレベルなんて変わりゃしないね。今の気持ちで廊下に入ってみろ!お嬢は自分で作った幻影に苦しむよ」
(「聖・ライセンス」より)
と止められるが、コーニーはどうしても行きたいと言い、門番は「乙女のなすがままにという女神さまのご命令だからね」とコーニーを鏡の廊下へ行かせた。
しかし、門番の言う通りに、コーニーは自分の幻影に苦しんだ。自分の無意識を表したチェルシーが下にいるコーニーを見下ろしながらコーニー自身の考えを言ってくる。
「助けてあげましょう。かわいそうに。わたしが助けてあげなきゃ」
上から見下ろしてクスクス笑いながらそう言うチェルシーが、コーニーの姿に変化し自分を心配そうに見下ろしてくる。
「あの娘が自力で出られるハズないもの。きっと助けがいるわ。わたし行かなくちゃ。わたしだったらできるかも。がんばればできるかも。女神さまを信じていれば。たぶん。でもあの娘にはきっとムリ。だからわたしが…」
(「聖・ライセンス」より)
自分を見下ろしながら心配そうに言う自分自身を見て、コーニーは気づく。
自分なら助けられるのか?自分はそんなにすごいのか?自分が口には出さなくても無意識ではチェルシーを差別していて、一方的にチェルシーが悪いと思っていたのだ。たとえ口に出さなくてもチェルシーはそれを無意識に感じとり傷ついていた。
無意識ではコーニーなチェルシーを見下していた。チェルシーを決めつけていたのだ。だから高いところから自分が見下される幻影を見せられた。
それに気づくと自分しか映さない鏡の廊下の中で、幻影に苦しんだチェルシーを見つけ、お互いに心の底から尊重することで出ることができた。
「すべての愛する人の聖ライセンスが光輝きますように」と相手を祝福する、ユニコーン宮殿で挨拶変わりの祝福の言葉を互いに心から与えあったからだった。

これが【人間レベル】における本当の他者尊重だ。口では何とでも言える。重要なのは無意識の考えなのだ。

本物:佐藤篤代も成功法則レベルにいた時、潜在意識に支配された無意識の信念レベルの考えを探り出す際に、コーニーが気づいたようなことに気をつけて実践していた。無意識は自分ではわかりづらい。故に慎重に、自分の心に正直に素直に探り出さなくてはならないのだ。自分の心に否定的な考えがあると認められなければ、そこで否認されるので、気付くことはできない。

自分の認めたくない部分を正直に直視し、認めることが欠かせない。この姿勢はずっと欠かせない。自分に対して隠し事があれば真実には向かえないからだ。

「自分に正直に」とは、自分の心の中には自分で隠した認められない部分が幾層にもあるからこそ、絶対に必要な要素なのだ。

コーニーが鏡の廊下を出た後に言った台詞を書き出してみよう。
「『人は鏡と同じ二面性がある』。今回のことで思い知らされました。
ミスター、わたし、祈る意味がわかった気がします。それは鏡に映る自分を認めてあげることだと思います。だって長所って時と場合で短所にもなりうるでしょう?逆に短所も長所になるわけですよね。
人を責める時ってまず自分の嫌な部分を嫌いになるみたい。自分に嫌なとこがあるってなんて嫌なんだろうって。
―でも自分の嫌な部分を嫌うと(自分にもこんな部分があるのねって)自分と似た人まで嫌いになるみたい。
もしも…自分を責めて、責めて、うんと自分をせめて!ズタズタに傷ついてしまうと…今度はとても悲しくなる。きっと…人を攻撃し始めるわ。気持ちを…わかってほしいから。(この悲しみをわかってほしい…)
でもいくら人を傷つけても心は癒されない。きっと自分を責めている間は人を責める理由を胸に持っているから。まずは、自分の心を…かなしみをなんとかしなくちゃ!!(愛の光は胸の内側をいやしてくれます)。祈ることで女神さまが傷ついた心をいたわってくれる」
(「聖・ライセンス」より)

その後で門番にコーニーが言われたことも書いておこう。
「『何かを責めているうちは』進歩がないんだよ、お嬢!!いいかね。『適材適所』という言葉を覚えておきなサイ!!
人を能力に応じて具合がよろしい場所に配置されておるという意味だ。(ショクバのフンイキとかイロイロ…ノウリョクはイチガイにギジュツじゃないぞ!ぐーぜんじゃないの、ぐーぜんじゃ)これを別の言葉で『天命』という。
子供の頃憧れたものにはどうやらなれる素質は持っとるらしい。この『天命』簡単には手に入らん。1に努力。2に努力。3、4がなくて…5にも努力。
何ーっ!!辛いかねっかね?
あーたりまえだ!人間は本来そーゆーふうにはできとらん。ど、ど、ど根性などいらん!(でも根性はちょっぴりいるかな)いるのは『祈り』と『努力』のワンセット」だ。
なんとゆーか、自分の力で何かをやろうとするあら「しんどい」のだ。(天命は自力じゃないよ、自力じゃあ。信念はいるケドね)『努力』は素直さで充分フォローがきく!
うーむ、ここだけの話だがね、愛の祈りは『感謝』だよ。さまざまな愛によって生かされとるんだから。言ってしまえばナ、『感謝を忘れた心に安らぎ(愛)は入りにくい』とゆーことだネ」
(「聖・ライセンス」より)

この箇所はまさに成功法則をよく表現している。成功法則に感謝と努力と祈りは欠かせない。ジョセフ・マーフィーでは「祈り」はメインだ。

「他力的な祈り」。「聖・ライセンス」ではその力の源は「女神さま」と表現されているが、成功法則では「無限の力、広大無辺の力、あるいは神」が力の源だ。

マラソンでよく言う「ランナーズハイ」。それと同様に、大変な仕事を長時間ぶっ続けでやっている時に、心身共に疲れきっている筈なのにふと身体も思考も軽くなり思い通り、それ以上に動くことがある。クリエイターなら多く経験している筈の「のってる状態」。それは、「無限の力、神」と繋がっているからだと成功法則ではなるわけだ。これは「他力的な祈り」の結果だ。成功法則を知らない人は無意識でやっている。
この実践も本物:佐藤篤代は多々やってきた。作家を天命で天職だと目指していたから「ランナーズハイ」は多々経験した。何かの力に動かされている感覚だ。

この「他力的な祈り」の概念は【A・Course・in・Miracles】を超えても基本となっている、知るのに欠かせない概念だ。成功法則で言えば「無限の力」の力を味方に付ける方向性。

【A・Course・in・Miracles】で聖霊に全託する方向性の実践の基礎になり、そして超えてからも【終わらせる為に作用する何か】に全託する姿勢の基盤となっている。

「自力」でやろうとしない。自分の力などたかが知れている。だから自分を全てを動かす力が動かす駒の1つとして考えて身を任せる。自分の力でやろうとしても躓くだけ。だからこの「無限の力」の采配に任せる。
その為には与えなくてはならない。成功法則ならば信念レベルまで高めなくてはならないプラスの性質の思考。感謝、祈り。「無限の力」への全託、信頼。それにより信念レベルまで与えたのと同じ性質の結果が外界で受け取られる。
この「聖・ライセンス」にしろ、成功法則にしろこの考え方は、後々の基礎になる。

もう1つ【人間レベル】における「与えること」と「受けとること」の例を「聖・ライセンス」から挙げよう。

主人公コーニーと出会った緑のユニコーンであるヘンリーは、自分に似たヘルダー男爵に出会い助けられた。自分がユニコーンである為に壮絶な不幸な人生を歩んでいた人だった。ヘンリーの一族はユニコーンを剥製にしヘンリーはそれで苦悩していた。いつか自分が剥製にされるのではないかと恐れた。ヘルダーは自分が剥製にされない為に友のユニコーンを犠牲にし、歪み、自分がユニコーン狩りをするようになっていた。あまりの不幸に、女神の愛(成功法則で言う「無限の力」に近い)を否定し、自暴自棄になっていたのだ。
だが、ヘンリーはヘルダーを父のように、ヘルダーはヘンリーを息子のように感じていた。ヘルダーは自分の若き日の哀れな自分をヘンリーの中に見ていたのだ。
しかし、ヘルダーは女神の愛に帰依しようとするヘンリーを許せず、銃で撃とうとする。
ヘルダーは銃口を向けながら「声にださずともわかるのだよ。苦しい時の神頼みか?私がもっとも軽蔑する他力本願を…」と言う。
ヘンリーは「―いや、あなたが身をもって教えてくれたように…あなたが言う通りたより木は必要だから、やはり僕は女神に帰依します」と返す。
ヘルダー「女神は助けてはくれぬ。なのに信じるのか?―君の輸血にどれほどの金を撒いたことか。大きな賭けとなった。残念だが、私の秘密を知ってしまった以上、君にはやはり死んでもらう」
ヘンリー「僕と一緒に来てください。あなたの受けた心の傷はわからない!けれど男爵!!あなたは鏡に映る僕自身だ。そのあなたが救われないでこの胸がどうして安らぐものか!僕の中にも暗闇はあるのに!!」
ヘルダー「暗闇?―ふっ…私と君では闇の量が違いすぎるのだ」
そこにコーニーが駆けつけ、ヘンリーはコーニーにヘンリー自身が安らぐまで祈るよう頼み、自分も「僕も祈ろう。このどうしようもなく悲しい僕の…僕の暗闇が愛されるために!!」とずっと否定してきた女神に対する「他力的な祈り」を行った。
ヘンリーはヘルダーを生かそうとし、ヘルダーはヘンリーを銃で撃った。
ヘルダーが撃った瞬間、何かが割れ、ヘルダーは消え地上へ戻され、ユニコーン狩りの罪で捕まった。
ヘンリーは無事だった。 ヘルダーは自分に対して銃を向けたのだった。本当はお互いが一歩ずつ歩み寄れば二人の関係はもっと変わったかもしれないが、ヘルダーはヘンリーを撃ってしまった。それにより、ヘルダーはこの後で処刑される。
(「聖・ライセンス」より。所々引用)

ヘンリーが与えたことは、自分も向かい合ったヘルダーも生かすことだった。だから、ヘルダーにはヘンリーに危害を加えることが出来なかった。受け取ったのは鉄壁の愛の守りだ。

だが、ヘルダーが与えたのは、ヘンリーの命の否定だ。だから受け取ったのは自分の命の否定だった。

因みに、ユニコーン達はそれぞれの時代に生きていてユニコーン宮殿で時空が繋がっており、ヘンリーの時代はゲーテがいた時代設定で、実際ゲーテも登場している。
因みにゲーテの本は数冊読んだ。

【ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ】
(Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日-1832年3月22日)は、ドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86

ヘンリーの舞台は西暦1800年代ということだ。

この知覚ある世界ではこの「与えること」と「受けとること」の法則が判りにくい。「聖・ライセンス」はその判りにくさを解りやすく表現している漫画だ。しかも成功法則を含めたこの世界の法則や教えについてもよく勉強した上で描かれているのが解る。下手な専門書よりも内容は濃い。

まさに―

外側ばかり形ばかりに囚われている者は視野が狭いから一面的な物事の見方しかできない。故に盲目。
ある視点に偏っていれば、その視点の内側でしか物事が見えないからだ。
漫画も専門書も同じ物質に過ぎない。
物質レベルでの視点でしか、物質の違いなどに囚われる事はない。
「何のために」という目的自体に2つの決定的な方向性だけがあるとは、盲目故に気づくことはできない。

偏見に満ち、考えが凝り固まり、柔軟性に欠け、形に囚われている者には真実など見出せる筈がないのだ。

【人間レベル】ででさえ、重要なのは目に見える表向き、外見、外側ではなく、中身だということだ。

物事の見方、思考の柔軟性がなければ、一面的な物事の見方で盲目となり、それ以外注視して見ないから、何も真実など見えやしない。

「蒔いた種を刈り取る」
自分が与えたことが自分に受け取られる―その成功法則が解りやすい例だ。

無論、この法則はこの知覚ある世界の内側の法則なので、エゴが作ったのであり真実ではないが、【A・Course・in・Miracles】を超えた「与えること」と「受けとること」を理解するには、知る段階として欠かせないのだ。

成功法則では「他者」が現実としかならないので、【A・Course・in・Miracles】レベルに達すると法則は通用しない。特に物質的な願いは叶わなくなる。実際奥底の願いはもはや物質レベルには一切なくなる。物質的な全てではもはや何かが無理なのだと解る。個体の絆では完全解決には至らず、満たされないのだとうすうす解る。何かがんじがらめにされているサイクルの繰り返しをただ終わりにさせたいと強烈に願うようにだけなる。そんな時に【A・Course・in・Miracles】を見出す。要するに真実へ向かうことだけが望みになるからだ。

そして【A・Course・in・Miracles】レベルでも歪みがあるので、その歪みが「他者」を現実にさせてしまうために、最終的には「何が他者を自分にとっての現実とさせるか」に気付き歪みを棄てなくてはならない。

「知覚ある世界の全てはエゴが作った幻想」というベースが失われては何にもならない。元の木阿弥だ。
「他は無い、他は幻想」と見なくては、知覚ある世界の全ては自分にとっての現実になってしまう。それでは何も終われない。何も完全解決には至らない。

そして、これを知らなければ、【終わらせる為に作用する何か】の作用に従って自分が何をすべきかはわからない。

【A・Course・in・Miracles】ワークブックの
LESSON108
「To give and to receive are one in truth.」と
LESSON126
「All that I give is given to myself.」

自分が与えた全てが自分自身に与えられる。

【A・Course・in・Miracles】レベルでは【人間レベル】に近い。だから成功法則を熟知していれば大体解るだろう。

だが、【A・Course・in・Miracles】を超えると、全てはエゴが作った全てを終わらせる為に【終わらせる為に作用する何か】の作用の下ですべきことのみに時間の全てが費やされる。

この段階の「自分が与えた全てが自分自身に与えられる」とは、教科書の内容、歴史、世の中のニュース、心理学、成功法則その他全て、過去で知ってきたことを自分が知るようになるために、エゴが作らざるを得なくなるように、知ってきたことを提示する(与える)べきだという意味だと解る。
他人に教える為ではなく、自分が過去で知ってきた全てを知るようにさせるためなのだ。
それにより【終わらせる為に作用する何か】の作用により、エゴは、提示した内容を作らざるを得なくなる。それが受け取るということだ。

エゴは終わらせないように知覚ある世界を作る。全てを終わらせる、真実に気づくようになる思考システムは率先して作らないのだ。作らざるを得なくなった時、ようやく渋々作る。

【終わらせる為に作用する何か】はそう終わらせる為の思考システムをエゴに作らせる為に、提示したものを再利用して【異世界レベル】や異なる時間と空間にそれを漏らす。漏れればエゴは可能な限り隠す。利用しやすい要素は意欲的に採り込むが、どうしても隠さなくてはならない要素程、漏れすぎて隠せなくなってやっと採り込んで世界に作り出す。

そうやって【終わらせる為に作用する何か】はエゴに全てを終わらせる為の思考システムを世界に採り込ませて作らせている。エゴが作った世界の主人公(偽者)達が知り、知った全てを提示するように最終的には作らざるを得ない。どんなに妨害しても抵抗させても最終的には作らなくてはならなくなる。だから真実へ向かっていける知るべき全てを知ることができるのだ。

知るべき全ては巡りめぐるわけだ。

過去で知ってきた全てを現在提示することにより、過去でその全てを知るようにさせられるというシステムだ。

まさに「自分が与えた全てが自分自身に受け取られる」ワケだ。
だから「与えることと受けとることは1つ」なのだ。同じなのだ。
「与え手と受け手は同じ」なのだ。

この段階になれば【A・Course・in・Miracles】の中の暗号のような意味が解ってくる。歪められているからこそ暗号やパズルのようになっているということだ。

この「与えること」と「受け取ること」はまだ【A・Course・in・Miracles】の引用をしたりないので、別タイトル概念に書こう。

佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(5)
【A Course in Miracles】与える&受け取る
西暦2015年7月24日:金曜日



西暦2015年段階の概念:佐藤篤代
http://simplog.jp/comment/19063121/23

西暦2015年前半
(1)エゴの隠す特質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11974654245.html
(2)エゴが隠し取り繕う過程
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11975807518.html
(3)2つの正反対の思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11976707775.html
(4)知覚ある世界はエゴが作った幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11978246696.html
(5)スケープゴートの世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11979880043.html
(6)原因と結果の法則
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11982652628.html
(7)繰り返しのサイクルの終わり
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11983485361.html
(8)知覚ある世界の全てを棄てる
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11986007920.html
(9)幻想を幻想として見る『赦し』
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11987258358.html
(10)やり直しのスパイラル
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11989740061.html
(11)『全ての幻想を同じ』と見る視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11991064187.html
(12)エゴが作った幻想の再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11993159401.html
(13)身体の脆さと死におけるエゴの目的
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11994375354.html
(14)身体は幻想・死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11995592527.html
(15)【死の超越】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998096555.html
(16)『罪の起源』の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-11998915374.html
(17)罪は幻想・罪はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12000205331.html
(18)罪の投影の世界構造
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12001831249.html
(19)スケープゴートへの罪の投影
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12004677231.html
(20)罪をでっち上げる世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12006320153.html
(21)エゴが罪悪感を作った理由
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008401797.html
(22)罪悪感の投影の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12008405314.html
(23)自分自身に対する戦いの実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12011755756.html
(24)【異世界レベル】の穴概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12013322433.html
(25)エゴが作った全ての再利用
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12014997902.html
(26)真の公平な視点
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12015380689.html
(27)「夢の主人公」の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12017397555.html
(28)「攻撃の完全放棄」の実質
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12018660133.html
(29)与えることと受け取ることは同等
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12020315340.html
(30)【A Course in Miracles】の実態
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12022798022.html
(31)【A Course in Miracles】世界はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12024092595.html
(32)【A Course in Miracles】幻想の意味
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12025684819.html
(33)【A Course in Miracles】幻想の消滅
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12027300629.html
(34)【A Course in Miracles】エゴの思考システム
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12029267318.html
(35)【A Course in Miracles】エゴの台本
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12030482397.html
(36)【A Course in Miracles】エゴと聖霊
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12032096300.html
(37)【A Course in Miracles】聖霊
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12033251660.html
(38)【A Course in Miracles】死はない
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12035281573.html
(39)【A Course in Miracles】身体は幻想
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12036091706.html
(40)【A Course in Miracles】真実に対する防衛
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12038012063.html
(41)【A Course in Miracles】無防備は力
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12038786997.html
(42)【A Course in Miracles】聖霊への全託
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12039954067.html
(43)【A Course in Miracles】聖霊の計画
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12041786198.html
(44)【A Course in Miracles】概念:赦し
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12043353309.html
(45)【A Course in Miracles】実践:赦し
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12044085428.html

西暦2015年後半
(1)【A Course in Miracles】赦しの実際
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12045700131.html
(2)【A Course is Miracles】神概念
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12047637770.html
(3)【A Course is Miracles】真の世界
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12049516167.html
(4)【A Course is Miracles】原因と結果
http://s.ameblo.jp/universalacim/entry-12052205262.html


概念記事関連リンク集
http://simplog.jp/comment/19367886/23

西暦2015年1月
http://simplog.jp/comment/19628362/23
西暦2015年2月
http://simplog.jp/comment/19628500/23
西暦2015年3月
http://simplog.jp/comment/20021719/23
西暦2015年4月
http://simplog.jp/comment/20577503/23
西暦2015年5月
http://simplog.jp/comment/21087350/23
西暦2015年6月
http://simplog.jp/comment/21568265/23
西暦2015年7月
http://simplog.jp/comment/22024326/23


この本物:佐藤篤代のブログは
【A・Course・in・Miracles】の核心「知覚ある世界はエゴが作った幻想」を矛盾なく徹底的に追究し、
【他が幻想であり、他がない】
と証明する、
『世界の起源を扱う』、
『人間レベルではない』、
【自分発信、自分受信】
の自分が知るために自分が自分に知らせる為のブログだ。

敵はいない。
味方もいない。
全部同じだからだ。
全てが同じエゴが作った幻想でしかないからだ。

本物:佐藤篤代は『エゴが作った幻想』という見方でしか何も見ないから、敵も味方もいない。

この『全てはエゴが作った幻想』という視点でしか『全部同じ』としては見ることはできない。

この本物:佐藤篤代のブログは、
『the Foundation for Inner Peace』の
【A・Course・in・Miracles】
原書second editionの概念をベースにしている。

本物:佐藤篤代がブログで言う核
【A・Course・in・Miracles】の核心
・知覚ある世界はエゴが作った幻想
・他は無い・他は幻想
・エゴが世界に留める為の最大の欺きの手段は特別性だ。
故にエゴの欺きから脱するには特別性を棄てなくてはならない。
・知覚もエゴが作った。
エゴの作った世界の終わりとは知覚の終わりだ。

本物:佐藤篤代はこの【A・Course・in・Miracles】の核心を基本に、【A・Course・in・Miracles】の歪みを削ぎ落としながら、『世界は幻想』という実体験に基づきながら真実へ向かっている。
この点を徹底的に矛盾なくしながら追究している。

矛盾がない概念を採用し、その方向性を目指す。こうして矛盾と歪みをそぎおとしていけば、いずれエゴの欺き(幻想)の完全な終わりへ向かえると本物:佐藤篤代は考えるからだ。

※本物:佐藤篤代が言う「1つの自己」とは【A・Course・in・Miracles】の意味とは違う



西暦2015年(年号:平成27年)
未(ひつじ)年現在

【佐藤篤代について】

西暦2012年7月16日:月曜日:海の日
【A・Course・in・Miracles】セカンドエディション(1976年発行:※生まれ年)の2回目日本語直訳、意訳をやめて直訳でやり直し始める。西暦2011年秋にある所へ送付し自分用が手元にないので、これは自分用。(西暦2012年10月末頃から中断し、西暦2013年11月2日:土曜日にやめた)

理由:【A・Course・in・Miracles】は本という型なので真実を完璧に表現できない。エゴは視界レベルで作り直せると気づいた為。
エゴはあいまいな記憶の水面下をいかようにも作り変えられる。時にはあからさまに作り変える。

同じ理由から【A・Course・in・Miracles】原書は全部はブログ掲載はしない。

この佐藤篤代が手紙を送った宛先のA Course in Miraclesに関連する組織とはthe Foundation for Inner Peace(Mill Valley;アメリカのカリフォルニア州)とthe Foundation for A Course in Miracles(Buecking Drive;Temecula:アメリカのカリフォルニア州)のみ。手紙のみのやり取りだった。
だが、後半ではやり取りは上記組織の個体ではなく、他の存在達こと過去の時点の自分達だけだと考えていた。実際は組織には届いてないと思われる。
西暦2009年から西暦2012年6月29日(金曜日)付の手紙で一切のコンタクトを終了し、以後、今後一切どのA Course in Miracles関連組織とは関わらない。

佐藤篤代はあらゆる全ての思想的布教や教えの組織も含め、A Course in Miraclesに関するあらゆる機関、組織、同人誌を含めた全ての出版、講演、workshop、慈善事業、ボランティア、あらゆる公的活動には一切関わっていないし、永久に関わらない。その他相談的なもの、カウンセリング、ヒーリング等同等の行為にも一切関わっていない。また、イエス キリスト的な偉人系、隠れ偉人や仙人系でもない。

佐藤篤代は生涯本籍変わらない。小学高学年で新築した際1年位近い親戚の家にいた以外、ずっと同じ場所に住んでいる。栃木県宇都宮市。

西暦2013年に新車購入全プロセスは終了済。日本車(国内車)。

佐藤篤代はパスポートを生涯取せず、海外渡航歴なし。

佐藤篤代は生まれてからずっと大病なし、入院もなし。

本物の佐藤篤代は36才(西暦2012年)から風邪も引かない。何らかの症状は代用の偽物の一過性の影響に過ぎないので病気ではない。アレルギーもならない。

本物の佐藤篤代は清潔。潔癖。

まだパソコン持ってなく、基本はスマートフォンがメインでブログ書いてる。あとは祖母の携帯電話をたまに使用。スマートフォンは機種交換し現在XPERIAに。

西暦2012年冬から今ずっと通販してない。めったにしていなかったが。西暦2014年1月19日:日曜日にNissen登録削除しもう通販しない。通販は他でもやってない。
(西暦2015年1月現在)

本物:佐藤篤代は43才になったら、ピンクと可愛い系(フリルやリボンやハートや星等マーク含め)や短いスカートやパンツ系をやめる。
現在の髪型をガラリと変え茶髪もやめる。前髪はなくし、髪色は黒。 現在の髪型(おかっぱ、前髪パッツン、茶髪 )は35才(西暦2011年夏の終わり)から継続中。
暖色系は極力やめ寒色系を主にする(白アイボリー系は多少やる)。ババアはババアらしくする。若づくりやらない。

西暦2007年12月から西暦2008年秋までが第1次インターネットblog活動。西暦2012年1月17日から現在に至るまで第2次インターネットblog活動。それ以外何もない。

本物は将来性のないニート
(西暦2015年)。
佐藤篤代は西暦2015年1月17日(土)で39才。
日本人(血縁すべて日本人)。
生まれてからずっと中肉中背。
普通の容姿。
西暦2009年から無職。それ以前は全部バイトかパート。
生涯未婚で子無し。

メール、コメント、いいね等その他全部のコミュニケーションは迷惑だからやめて下さい。
全て別人へのコメントにしかなっていません。
なされる全てが【異世界レベル】の【主人公(偽者)用コメント】でインチキだと判明していますので、「現実の他者」に対する対応は一切しません。
容赦なくツッコミします。そのコメント等の目的、大元を崩す為に容赦ないツッコミをします。

真実はあらゆる他者、他の存在とは分かち合えない。それが実感されている為に一切他者向けには書いていません。

このブログは、本物:佐藤篤代が見てきた過去の全てを受けとる為、そして『1つの自己※』へ向けて知らせる手段として、エゴが作った全ての主人公(偽者)と領域を終わらせる為に書いています。
これも【A・Course・in・Miracles】レベルを超えなければ理解できません。

このブログの中身は隠され、物質主義者レベルのスケープゴート糾弾用まで歪められています。故に中身が見える筈もないのです。だから別人へのコメント等になっているのです。

また、このブログは型としては日本人の日本語によるブログです。
コメント自体、この但し書きを見てやめるのは正常な人間の判断です。ですがそう書いてもコメントが止まない為書いておきますが、ことわりなしの英語も含め、違う言語でのコメント等は非礼に当たると言っておきます。

それ以前にブログのあちこちに置かれたこの【但し書き】が見えないのは【異世界レベル】である証拠となります。

見えていてなおコメント等をするならば、他者を尊重できない他人などどうでもいいと考える「自分、自分」の原始性が際立つ精神的未熟な【他者否定・自己肯定型】だと釘をさしておきます。

このブログにコメント等をする者全てがこのレッテルを掲げて行っているということになりますので、ご注意下さい。


佐藤篤代

概念:佐藤篤代/西暦2015年後半(5)
【A Course in Miracles】与える&受け取る
西暦2015年7月24日:金曜日