公人はエゴの寵児でしかない。奇跡のコース関連の公人は尚更だ。エゴが隠したいのは、奇跡のコースのような内容の真実だ。何故、エゴが躍起になって、私が所有する本、A Course in Miraclesや神の使者の中身をありとあらゆる存在に隠し、歪めた内容の偽物の本や関連を作り上げたのか、を考えれば、奇跡のコースつまり、A Course in Miraclesの関連した公人は、本物をやるのは不可能であり、偽物をやるための内容を歪める目的でしか、公で活躍できるはずがないと簡単にわかる。エゴは真実と事実を本当に隠す、とわかっていたら、公での奇跡のコースの活動は、明らかにエゴの目的であり、エゴの寵児でしかできるはずがないとわかる。真実を知る手段は偏ってはならなく、均等に世界の中の全ての手段から、表面の幻想の雲を見るのではなく、その奥に隠された真実を見いだす、という姿勢が必要なのだから、ある特定の公人に真実を知る手段が偏ることはできない。それは、個々の存在、偶像、つまり幻想を持ち上げる結果に陥り、特別性を大切に取っておく事になるため、真実の拡大は不可能だ。幻想を重視しないこと、これが基本だから、公人、公的機関はエゴの手段としてしか仕えない。公人である時点で、特別性を大切にしろと強調し教えている教師だ。公人は本末転倒だ。