どの存在も、罪を外側へ投影(なすりつける)する傾向があるのは、起源問題に由来する。「神(God)」からの分離をしたという、いわば、夢を見ている「神の息子(God's Son)[←この言い方は推奨できない]」が分離が大罪だと思い込み、多大な罪悪感から逃れる手段として、エゴの声にそそのかされて、自分の外側へ罪を投影することができる、この幻想の世界(今いる世界←ありとあらゆる存在が今いる世界)に逃げ込んだ。その神(God)から分離したことによる罪悪感は深刻で、神の息子(God's Son)は神(God)からの報復を恐れて、逃げ場を求めざるを得ず、この世界(今いる世界)へ逃げ込み、すべてを忘れた。起源の真実へ近づけば近づく程、苦しみが酷くなり、恐怖に襲われ、抵抗が激しくなるのは、この起源の、神(God)からの分離という罪と罪悪感を忘れたいからだ。本当に真実へ向かう決意をし、起源の罪悪感に向き合う決意をした存在以外は、真実に関するすべてに触れる時、エゴにより忘却を与えられ続ける。または隠され続ける。彼らが、真実を恐れており、隠されたいからだけだ。罪が自分にあると、どの存在も考えたくなく、外側に罪があると、自分の罪をなすりつけたい。が、知らなければならないのは、分離はなかった、だから罪はなかったという事だ。