2 労働価値説による等価交換の説明
そのような前提の上で、マルクスは剰余価値を次のように説明する。
一日単位で考える。実際には、労働者階級の世代継承としての再生産費も考えなくてはならないので話はもっと複雑なのだが、ここでは単純化のため一日単位のタイムスパンで再生産が行われるものと仮定する。すると、再生産費は一日分の食費やその他の一日分の生活費ということになる。それらの費用の合計が、労働力の再生産費であり価値であることになる。ここで、マルクスの理論では労働価値説が重要な働きをする。労働価値説というのは単純化して言えば、労働力の価値はその再生産に要した費用で決まるのだけど、人間にとっての究極的な費用は人間の活動としての労働全般(生きることは労働だというのがマルクスの考え)だというロジックである。希少なものが価値を持つと考えてもよい。では、人間にとって最も希少なものは何か。誰もが共通して希少なものであると認めるものは何かと言えば、それは人間の生命(生存可能時間)そのものであり、限りあり生きる時間ものであろう。労働するということは、限りある生きる時間=命を犠牲にする(消耗させる)ということだ。つまり、他の活動に使えたであろう時間や機会を、労働のために犠牲にするということである。従って、この労働(時間)が資本に投じられるからこそ、その労働力が価値を持つ、そして実際の労働を生産物も価値を持つと見做すのである。
この労働価値説を労働力という商品に適用したのが、マルクスの剰余価値論だ。原材料を仕入れ、設備および機械を動かし、労働力を投入して生産物を生み出す。マルクスは、生産物の価値は、その生産物を生み出すために要した労働時間で計られると仮定する。シャツが生産されたらとする。その生産に直接要した労働時間は4時間だと仮定した場合、そのシャツの価値は4時間分の価値になるかというと、そういう訳にはいかない。労働力だけでなく原材料や機械を使わなければ生産物は生産できない(販売促進&シェア維持のためのマーケティング費用や販売費用もある)。生産物に要した原材料は消費されてしまうし、機械も減耗する。さらには、避けられない義務として税金の支払いもあるし、銀行への元本や利息の支払い、本社や事務所(営業所や支店)や店舗や工場を維持するための固定費も掛かるし、売掛金の未回収も発生し得るし、災害その他の不可抗力の損失も発生し得る。従って、原材料の仕入れ費用や機械の減耗分、税金の支払いやその他の損失リスクのコストも、この4時間分の労働価値に上乗せ(加算)しなければならない。ここでは、マルクスに倣って、その生産物の生産に要した労働時間が、その商品価格に比例するという単純化を採用する。1000円で売られている原材料は、一時間分の労働を要した生産物であるとする。このシャツの場合、原材料に1000円を要し、機械の減耗分もまた1000円だとしよう。すると、合わせて2000円だが、これは2時間分の労働に相当する。つまり、シャツを生産するための労働時間4時間に2時間を加えた6時間というのが、この企業(資本)においてシャツを生産するために要した必要な労働時間ということになる。従って、先ほどの仮定に従えば、6時間分の(みなし)労働時間を要したシャツは6000円で販売すれば、価値通りに販売されたことになる。
このシャツを生産する資本家が原材料や労働力を購入する際もやはり、等価交換のルールが適用されなくてはならない。つまり、その再生産費が支払われなくてはならない(労働者にとっては、最低限の再生産費ギリギリの賃金では、労働のための最低限の食事や休息・休養以外には、消費や自由時間や余暇を楽しむ余裕は無い)。原材料や機械は、他の資本家が生産した商品を購入してくるとしよう。ここでは、それが価値通りに販売されたと「見做す」ことは、既に説明した通りである(もし、等価交換でなければ、不当に価格を吊り上げられた商品を購入したことになり、マクロレベルではインフレ圧力になる)。問題は労働力である。労働力もまた、その価値通りに支払うのが等価交換のルールだとするなら、その再生産費を考えればよい。それは、上述したような労働者の一日分の生活費に相当する。仮に、それが4000円だとしたら、資本家は労働者に4000円を支払えば、等価交換が行われたことになる。従って、資本家は原材料に2000円、労働者に賃金として4000円、合計6000円を支出して、生産したシャツ一着を6000円で販売することになる(ちなみに、多くの企業では生産物を販売した利益で労働者の賃金が支払われているわけではない。生産物がオーダーミスも不良品もなく販売されるものと仮定して=見越して、前払い金として賃金を労働者に支払っている)。
しかし、これでは企業(資本)の利潤は生まれない。そこで、資本家は労働者に言う。「私はあなたに一日分の労働力を再生産するために必要な賃金4000円を支払った。しかし、あなたはまだ4時間しか働いていない。まだ働けるはずだ。もう少し、そうだな、8時間働いてもらおう。それが等価交換というものだ」。実際に、このようなやり取りが行われたということことではない。これは、あくまでも思考実験のための架空の想定だ。従って、労働者がなぜこのような不利な提案を受け入れるのかという問題は置いておこう。とにかく、現実の労働者の労働時間は、その程度には長いのである。
すると、今度の仮定では、労働者は8時間働き2着のシャツを生産する。一着のシャツの生産に必要な労働時間と原材料の仕入れ費用のみなし労働時間の合計は、先ほどの条件と変わらず6時間のままだから、シャツの価格も一着6000円のままだ。他方で、支出した費用はというと、原材料の仕入れ費用や機械の減耗分も2着分になる(大ロットのスケールメリットは除外する。なお、TOCなどの最新の生産理論では大ロットは利益の拡大には役立たないとされる)ので、それに伴う必要な支出も2倍になる。しかし、賃金は4000円のままだ。従って、費用は2着で8000円だが、売り上げは2着で12000円になるので、差額の4000円が資本家の儲け、つまり利潤になる。この利潤は、価値の差額であると考えれば、それは剰余価値と呼ばれるものになる。剰余価値を渇望する資本家は、さらに労働時間を延長して10時間にする。すると、資本家が獲得する剰余価値(利潤)はさらに増えるが、労働者の肉体的消耗は激しくなり、疲労やストレスにより労働力の再生産が困難になる。マルクスは、これを「絶対的剰余価値の生産」と名付けた。