あまね理樺です。
あまね理樺Facebookフォローしてね
YouTubeほしのおと
島原に行って来ました。
島原といえば天草四郎時貞。
そして昨日は長崎と伊王島で教会めぐり。
ちょっと考えさせられました。
「神ってなんだろう?」
「幸せって何だろう?」
長崎はキリシタンの街なのです。
ある時代、多くのキリシタンが殺害されました。
そういう視点から見ると、
「神って何なのだろう?」
「信じるって何なのだろう?」っていう疑問が湧きあがってくるのです。
彼らは信心していたから殺された?
神は何もしてくれなかったのか?
どんな気持ちだったんだろうなあと思いました。
今日一緒に島原に行った友達に聞きました。
「どういう気持ちだったと思う?」って。
そしたら、彼女はこう言いました。
「至福の気持ちだったと思います」
至福?
考えてもみなかった。
そうか、そういう見方もあるのか。
愛する人、
信じるものを信じて殉教して行く至福感。
神の一番近い場所へ行けるという至福感。
そういうものを抱えて死んで行ったと、ある書物に書いてあったそうです。
「どうせ誰もが死ぬのだから、身体に執着していなかったのでは?」
確かに、私が宇宙にこの疑問を投げかけた時帰ってきた答えは
「執着」「期待」
これが怒りを生み出すと。
結局私が考えていたことは、
本当の信心ではなかったのかもと思いました。
本当の意味で、キリストの言ったことを理解していれば、
無執着や神への明け渡しは当然のことで、
そこに疑問や裏切られ感が残る方がおかしいのです。
なるほどね〜。
一概に状況だけを見て、
酷いことが起こったと思うのは、
もしかしたら浅はかなのかもしれないなあと思いました。
自分の視点を離れた視点をもたらしてくれる相手はギフトです。
人と語り合うことの醍醐味は、こんな所にもあるのかもしれませんね。
島原では、また、おもしろい方にお会いしました。
よかったら遊びに行ってみてください。
龍の掛け軸が待っています🐉
★創業明治十年 猪原金物店さん↓



