あまね理樺です。

 
島原に行って来ました。
 
島原といえば天草四郎時貞。
 
 
 
そして昨日は長崎と伊王島で教会めぐり。
 
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ちょっと考えさせられました。
 
「神ってなんだろう?」
 
「幸せって何だろう?」
 
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長崎はキリシタンの街なのです。
 
ある時代、多くのキリシタンが殺害されました。
 
そういう視点から見ると、
 
「神って何なのだろう?」
 
「信じるって何なのだろう?」っていう疑問が湧きあがってくるのです。
 
 
 
彼らは信心していたから殺された?
 
神は何もしてくれなかったのか?
 
 
どんな気持ちだったんだろうなあと思いました。
 
今日一緒に島原に行った友達に聞きました。
 
 
「どういう気持ちだったと思う?」って。
 
 
そしたら、彼女はこう言いました。
 
「至福の気持ちだったと思います」
 
 
至福?
 
考えてもみなかった。
 
 
そうか、そういう見方もあるのか。
 
 
愛する人、
 
信じるものを信じて殉教して行く至福感。
 
神の一番近い場所へ行けるという至福感。
 
 
 
そういうものを抱えて死んで行ったと、ある書物に書いてあったそうです。
 
 
「どうせ誰もが死ぬのだから、身体に執着していなかったのでは?」
 
 
確かに、私が宇宙にこの疑問を投げかけた時帰ってきた答えは
 
「執着」「期待」
 
これが怒りを生み出すと。
 
 
結局私が考えていたことは、
 
本当の信心ではなかったのかもと思いました。
 
 
本当の意味で、キリストの言ったことを理解していれば、
 
無執着や神への明け渡しは当然のことで、
 
そこに疑問や裏切られ感が残る方がおかしいのです。
 
 
 
なるほどね〜。
 
 
一概に状況だけを見て、
 
酷いことが起こったと思うのは、
 
もしかしたら浅はかなのかもしれないなあと思いました。
 
 
 
自分の視点を離れた視点をもたらしてくれる相手はギフトです。
 
 
人と語り合うことの醍醐味は、こんな所にもあるのかもしれませんね。
 
 
島原では、また、おもしろい方にお会いしました。
 
よかったら遊びに行ってみてください。
 
龍の掛け軸が待っています🐉
 
★創業明治十年 猪原金物店さん↓
 
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