あまね理樺です。

島原に行って来ました。

島原といえば天草四郎時貞。



そして昨日は長崎と伊王島で教会めぐり。

{678CC6AC-D162-413B-9478-F23534E16CF6}

{1E423786-47B2-4F37-8660-9A090FAE1E28}


ちょっと考えさせられました。

「神ってなんだろう?」

「幸せって何だろう?」

{667D9AFE-462A-497C-ADC9-C9176848DB15}


長崎はキリシタンの街なのです。

ある時代、多くのキリシタンが殺害されました。

そういう視点から見ると、

「神って何なのだろう?」

「信じるって何なのだろう?」っていう疑問が湧きあがってくるのです。



彼らは信心していたから殺された?

神は何もしてくれなかったのか?


どんな気持ちだったんだろうなあと思いました。

今日一緒に島原に行った友達に聞きました。


「どういう気持ちだったと思う?」って。


そしたら、彼女はこう言いました。

「至福の気持ちだったと思います」


至福?

考えてもみなかった。


そうか、そういう見方もあるのか。


愛する人、

信じるものを信じて殉教して行く至福感。

神の一番近い場所へ行けるという至福感。



そういうものを抱えて死んで行ったと、ある書物に書いてあったそうです。


「どうせ誰もが死ぬのだから、身体に執着していなかったのでは?」


確かに、私が宇宙にこの疑問を投げかけた時帰ってきた答えは

「執着」「期待」

これが怒りを生み出すと。


結局私が考えていたことは、

本当の信心ではなかったのかもと思いました。


本当の意味で、キリストの言ったことを理解していれば、

無執着や神への明け渡しは当然のことで、

そこに疑問や裏切られ感が残る方がおかしいのです。



なるほどね〜。


一概に状況だけを見て、

酷いことが起こったと思うのは、

もしかしたら浅はかなのかもしれないなあと思いました。



自分の視点を離れた視点をもたらしてくれる相手はギフトです。


人と語り合うことの醍醐味は、こんな所にもあるのかもしれませんね。


島原では、また、おもしろい方にお会いしました。

よかったら遊びに行ってみてください。

龍の掛け軸が待っています🐉

★創業明治十年 猪原金物店さん↓

{4EA12165-6068-4A40-80FF-C99B53F133FC}



ダイヤモンドあまね理樺Facebookフォローしてね

ダイヤモンドYouTubeほしのおと