RA.MUあまね理樺です。
ボイジャータロット、2番のカードに『デルフォイの神殿』が描かれています。
デルフォイとは?
ギリシャの古代都市、世界で最初に神託(オラクル)が降ろされた場所。
パルナッソス山を見渡す場所にあり、
その神殿は太陽神・アポロンが祀られています。
もうずーっと大昔、かのアレクサンダー大王もここまで神託をもらいに来たという場所。
その神殿に「汝自身を知れ」という文字が書かれています。
ですが今日は、「汝自身を知れ」の話ではありません
「はじめに言葉ありき」
言葉は神とともにあり、言葉は神であった。
万物は言葉とともにあり、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があり、命は人を照らす光であった。
ヨハネ福音書の一節です。
言葉による伝達より絵や図象による伝達の方が情報を多く伝える、
というレクチャーを聞き、そうなんだけどな~、でもなんだか気になる...
なんだろう...となんだか妙に引っかかってしまった私でした
絵や絵画・写真が文章より情報量が多いことはわかります。
そうワタシも思っていました。
でも本当にそうだろうか...?
言葉は恣意的(人によって意味付けが違う)なものです。
例えば、「犬」と聞いて「可愛い動物」と思う人もいれば、「恐い」と思う人もいる。
その人に意味の認識によって創り上げられたものが言葉です。
そしてゆるく共通の認識があるので、言葉が通じます。
(でも本当はすごくファジー。
みんな自分の認識で言葉を使うのでコミュニケーショントラブルが絶えません^^;)
「はじめに言葉ありき」というのは、
「なんにもない世界に神がやってきて、何かにチカラを与えた。
その方法が言葉というものである」という意味のことを言っています。
人というのは、自分の中に「こういうもの・こう使うもの」という認識がないと
目で見ることが出来ないのです。
だから何にもない原初の世界に神がやって来て言葉により創造をした。
びっくりでしょ?
目の前にあってもです。何もないと感じるのです。
未開の地の住人の元へ、大きな船に乗った侵略者がやって来た時、
その船から上陸するための小舟は観ることが出来たけど、
沖に停泊した大きな船は観ることができなかったと言います。
認識できないけどある「何か」に意味を与え
「在ると認識できる」状態にする魔法のツールが「言葉」なのだと言っているのです。
言葉には波動があります。
そして恣意的なものである以上、人によって理解できる範囲が変わります。
(ファジー性)
難しい学術書を読んですっごくおもしろかったという人がいるのと
何も書いてなかったと思う人がいるのはそのためです。
その人にとって意味のない言葉はただの文字の羅列です。
そう考えると、一概に図象の方が情報量が多いと決めてしまうのもどうかなと思います。
言葉をこれだけ明確に操るのは人間だけです。
で、あれば、言葉にチカラがない訳がない。
だけど図象の方が情報伝達量が多いというのもわかるよね...
グルグル考えていたら、結局のところ、
どちらの話も大きな概念の一側面を言っているに過ぎないんだなと気づきました。
どちらの話も総括的にみると矛盾しない。
ライトランゲージ(宇宙語)を操る身としては、
言葉のパワーというのはとてもよく知っている。
ライトランゲージに含まれる情報量は膨大です。
そして波動が高いので言葉を降ろすだけでヒーリングが起ります。
思うに、言葉として捉えると、ホンの少しに見えるかもしれないけれど、
言葉の持つ波動というのは絶大で、
人間の脳みそが捉えきれない膨大な情報量を持っている。
だから、小説なんかもそうですが、
読む時期、読む人によって、読み取れる階層が変わって来るのです。
中学生の頃読んだ本を今読んでみたらまったく違う物語に思えたことはありませんか?
あー、こういう話だったのかと。
自分の認識できる範囲が広がったから、
そこにあるもっと深い意味を読み取ることが出来るようになった。
そこにある意味を理解する準備が出来たからそれを「読む」ことができるようになった。
例えば、宮部みゆきのブレイブ・ストーリーという本がありましたが、
ただの冒険小説と取る人もいれば、
同じ場所にいるようにみえて、
実は出会うことのない違うレイヤーに住んでいる人がいるという話と気づく人もいます。
言葉にはチカラがあり、そのチカラは人間に与えられたものです。
だから、言葉によってその意味以上の情報が、その人の中で活性化します。
小説を読んでいるといつの間にか、まるで実際に見たかのように
映像がイキイキと頭の中で動き出していますよね。
そして後からその場面を思い出す時って、決して文章ではありませんね。
ずいぶん、難解な話になってしまいましたが、
「言葉」ってすごいな!と思います。
紙の上の平坦なものとして捉えるのではなく、
もっと立体的に生きているチカラとして感じてみるとおもしろいと思います。
「はじめに言葉ありき」
デルフォイの神殿に「汝自身を知れ」と書いてあったと知ったのと同じくらいの衝撃を
この「はじめに言葉ありき」からも受けていたのです。
それは、都心にあるとても古いローマンカトリック系の教会に行った時でした。
その建物の一番目立つところに、その言葉が刻まれていました。
なぜなんだろう?
深く意識のどこかに刻み込まれました。
やっとね、ここへ来て、
言葉が光であり、チカラである、という意味がわかって来ました。
言霊というのを聞いたことがあると思いますが、
言葉は生きています。
そして何かを動かす魔法のツールです。
心して使いましょうね
ボイジャータロット、2番のカードに『デルフォイの神殿』が描かれています。
デルフォイとは?
ギリシャの古代都市、世界で最初に神託(オラクル)が降ろされた場所。
パルナッソス山を見渡す場所にあり、
その神殿は太陽神・アポロンが祀られています。
もうずーっと大昔、かのアレクサンダー大王もここまで神託をもらいに来たという場所。
その神殿に「汝自身を知れ」という文字が書かれています。
ですが今日は、「汝自身を知れ」の話ではありません

「はじめに言葉ありき」
言葉は神とともにあり、言葉は神であった。
万物は言葉とともにあり、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。
言葉のうちに命があり、命は人を照らす光であった。
ヨハネ福音書の一節です。
言葉による伝達より絵や図象による伝達の方が情報を多く伝える、
というレクチャーを聞き、そうなんだけどな~、でもなんだか気になる...
なんだろう...となんだか妙に引っかかってしまった私でした

絵や絵画・写真が文章より情報量が多いことはわかります。
そうワタシも思っていました。
でも本当にそうだろうか...?
言葉は恣意的(人によって意味付けが違う)なものです。
例えば、「犬」と聞いて「可愛い動物」と思う人もいれば、「恐い」と思う人もいる。
その人に意味の認識によって創り上げられたものが言葉です。
そしてゆるく共通の認識があるので、言葉が通じます。
(でも本当はすごくファジー。
みんな自分の認識で言葉を使うのでコミュニケーショントラブルが絶えません^^;)
「はじめに言葉ありき」というのは、
「なんにもない世界に神がやってきて、何かにチカラを与えた。
その方法が言葉というものである」という意味のことを言っています。
人というのは、自分の中に「こういうもの・こう使うもの」という認識がないと
目で見ることが出来ないのです。
だから何にもない原初の世界に神がやって来て言葉により創造をした。
びっくりでしょ?
目の前にあってもです。何もないと感じるのです。
未開の地の住人の元へ、大きな船に乗った侵略者がやって来た時、
その船から上陸するための小舟は観ることが出来たけど、
沖に停泊した大きな船は観ることができなかったと言います。
認識できないけどある「何か」に意味を与え
「在ると認識できる」状態にする魔法のツールが「言葉」なのだと言っているのです。
言葉には波動があります。
そして恣意的なものである以上、人によって理解できる範囲が変わります。
(ファジー性)
難しい学術書を読んですっごくおもしろかったという人がいるのと
何も書いてなかったと思う人がいるのはそのためです。
その人にとって意味のない言葉はただの文字の羅列です。
そう考えると、一概に図象の方が情報量が多いと決めてしまうのもどうかなと思います。
言葉をこれだけ明確に操るのは人間だけです。
で、あれば、言葉にチカラがない訳がない。
だけど図象の方が情報伝達量が多いというのもわかるよね...
グルグル考えていたら、結局のところ、
どちらの話も大きな概念の一側面を言っているに過ぎないんだなと気づきました。
どちらの話も総括的にみると矛盾しない。
ライトランゲージ(宇宙語)を操る身としては、
言葉のパワーというのはとてもよく知っている。
ライトランゲージに含まれる情報量は膨大です。
そして波動が高いので言葉を降ろすだけでヒーリングが起ります。
思うに、言葉として捉えると、ホンの少しに見えるかもしれないけれど、
言葉の持つ波動というのは絶大で、
人間の脳みそが捉えきれない膨大な情報量を持っている。
だから、小説なんかもそうですが、
読む時期、読む人によって、読み取れる階層が変わって来るのです。
中学生の頃読んだ本を今読んでみたらまったく違う物語に思えたことはありませんか?
あー、こういう話だったのかと。
自分の認識できる範囲が広がったから、
そこにあるもっと深い意味を読み取ることが出来るようになった。
そこにある意味を理解する準備が出来たからそれを「読む」ことができるようになった。
例えば、宮部みゆきのブレイブ・ストーリーという本がありましたが、
ただの冒険小説と取る人もいれば、
同じ場所にいるようにみえて、
実は出会うことのない違うレイヤーに住んでいる人がいるという話と気づく人もいます。
言葉にはチカラがあり、そのチカラは人間に与えられたものです。
だから、言葉によってその意味以上の情報が、その人の中で活性化します。
小説を読んでいるといつの間にか、まるで実際に見たかのように
映像がイキイキと頭の中で動き出していますよね。
そして後からその場面を思い出す時って、決して文章ではありませんね。
ずいぶん、難解な話になってしまいましたが、
「言葉」ってすごいな!と思います。
紙の上の平坦なものとして捉えるのではなく、
もっと立体的に生きているチカラとして感じてみるとおもしろいと思います。
「はじめに言葉ありき」
デルフォイの神殿に「汝自身を知れ」と書いてあったと知ったのと同じくらいの衝撃を
この「はじめに言葉ありき」からも受けていたのです。
それは、都心にあるとても古いローマンカトリック系の教会に行った時でした。
その建物の一番目立つところに、その言葉が刻まれていました。
なぜなんだろう?
深く意識のどこかに刻み込まれました。
やっとね、ここへ来て、
言葉が光であり、チカラである、という意味がわかって来ました。
言霊というのを聞いたことがあると思いますが、
言葉は生きています。
そして何かを動かす魔法のツールです。
心して使いましょうね


*本当のご神託の場はデルフォイの神殿ではなく、
そこから更に山を登った洞窟なんですって♬
ハハハ。バシャールとシンクロしてしまった^^
http://ameblo.jp/viva-bashar/entry-11995831969.html
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